【前回のあらすじ】
釆女からのラブレターを詠んだ頼母は、変な疑いを掛けられないよう、釆女にすぐに職場復帰するように指示したのでした。
【初めての方へ】
原典の画像だけでなく、スクロールすると、ちゃんと活字の原文(可能な限り漢字に直し、送り仮名と振り仮名を補足しています)と現代語訳と解説がありますよヾ(๑╹◡╹)ノ"
【スマホでご覧の方へ】
諸事情により、PC版と同じデザインになっています。なるべくスマホでも読みやすいようにはしているのですが、もし、字が小さいと感じた場合は、スマホを横にして拡大すると読みやすいと思います。
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霞亭文庫 · 男色義理物語 · 東京大学学術資産等アーカイブズ共用サーバ
男色義理物語 : 4巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
※赤字の書入れ等は筆者。
【原文】【現代語訳】
「如何様《いかさま》彼方《あなた》[貴方?]にも、人目《ひとめ》[一目?]バかりを思ふと見へたり。
「いかにも、あの人(=頼母)は、人目を気にしているようです。
然《さ》れバ、心長く彦星の逢瀬《あふせ》にも準《なぞら》へて恋給へ」
ですので、気を長く持って、一年に一度の彦星と織姫の逢瀬のように、恋をなさってください」
と言へば、此の拗《ねじ》け人《びと》、世にも嬉しげなる有様にて、
と、内蔵之助は言いました。
すると、この素直じゃない人(=采女)は、いかにも嬉しそうな様子で、
「一方《ひとかた》ならぬ仰せなれば、如何《いか》で否《いな》ミ侍るらんや」
「身に余るありがたいご指示なので、従わないわけにはいきません」
とて、急ぎ湯を引き、髪梳《かみけづ》りて、何時《いつ》と無く宮仕ひに出でけれバ、
と言って、急いで入浴し、髪をとかして、いつのまにやら出勤していました。
其処等《そこら》の若き人/゛\、珍しげに打ち物語らひて、
そこらの同僚の若い人々は、珍し気に話しかけてきて、
「此の度《たび》ハ、辛《から》き命を助かり給ふハ、いと目出度《めでた》し」
「このたびは、危《あや》うい命がお助かりになったようで、とてもめでたいことです」
等《など》ゝ言ひて、碁打ち、乱碁《らんご》拾い、貝覆《かいおゝ》ひ、偏《へん》尽くし等《など》して、誘ひ給ひけれども、
などと言い、碁打ち、乱碁《らんご》、貝覆《かいおお》い、偏継《へんつ》ぎなどに、お誘いになりました。
糸節《いとぶし》の憂き[「憂き節」と同義か。『雨夜物語』では「一節に憂き」]に心ハ慰《なぐさ》みず、彼方此方《かなたこなた》と佇《たゝず》ミ、立ち迷ひ、心細げなる顔ばせに、
しかし、釆女は憂鬱《ゆううつ》で、気分が乗らず、あちらこちらにウロウロしたり、佇《たたず》んだりしました。
そして、心細げな顔付きで、
「今日斯《けふか》くと 知らセ初《そ》めにし ばかりにて 逢ふ夜も知らぬ 身を如何《いか》にせむ」
「今日、初めて私の気持ちを伝えたばかりなので、いつの夜になったら逢えるのか見当もつかず、もどかしいままどうやって過ごしたらいいか分かりません」
と詠みました。
虚《むな》しく月日を過ぎ行《ゆ》きけるにも、在原の中将の「惜しめども 春の契り〈限り〉ハ」等《など》言ひしも、今あた〈又《また》〉身の上に知られ侍るに、
虚《むな》しく月日が過ぎていくのですが、在原業平《ありわらのなりひら》が、
「惜しんでいても月日は無常に流れていき、今日はもう春の最後の日の夕暮れになってしまいました」
などと詠んだのも、今はまた自分の身の上に重なります。
[「惜しめども 春の限りの 今日の日の 夕暮れにさへ 成りにけるかな」『伊勢物語』九十一段]
時も実《げ》に弥生《やよひ》見けり〈晦日《みそか》〉明くれバ、何時《いつ》か衣替へにもなん成《な》りぬ。
時は実際に三月の最終日が明けて、いつしか衣替えの日(=四月一日)になりました。
今日は早《は》や日も麗《うら》ゝなり。
今日はもう、日も長閑《のどか》に照っています。
口忠実《くちまめ》なれども、思ふこと言ハぬも腹脹《はらふく》るゝ業《わざ》なれや。
言葉数が多くなってしまいますが、思っていることを言わないと、腹に物がつかえているようで気持ち悪いので、書くことにします。
其の頃、主《しう》の唐橋殿《からはしどの》、初めて世継ぎの御息《ごそく》、御儲《もう》けの御祝ひとて、御一門、暦《れき》/\、招《しやう》じ給ひ、色/\と終日《ひめもす》御馳走《ごちそう》の余りに、
その頃、主君の唐橋殿に、初めての世継ぎとなるご子息がお生まれになりました。
そのお祝いとして、ご一族やお偉い方をお招きになり、色々と一日中御馳走をふるまっただけでなく、
【解説】
采女は頼母の指示通りに職場復帰したものの、先が見えず、憂鬱《ゆうつ》な日々を過ごします。
挿絵は、内蔵之助が頼母に采女のラブレターを渡すシーンです。
本文では人目に付かないように、こっそり袖の中に入れたはずなのですが、この挿絵では堂々と渡していますね(笑)
この『男色義理物語』では、四月になり、主君の唐橋侍従に世継ぎが生まれたお祝いが、関係者を招いて行われたとあります。
ところが、オリジナルの『藻屑物語』『雨夜物語』では異なり、侍従の所に将軍が訪れたことが記されています。
『藻屑物語』『雨夜物語』における、その辺りの箇所を引用すると、
【原文】
今日は日も麗《うら》らかなればとて、大君の御幸《みゆき》[将軍の場合は正確には「御成《おなり》」だが、舞台を宮中になぞらえているので、「御幸」以外にも「大君」「供奉」「宮仕」など主に宮中に関する用語が使われている]成《な》らせ給ふ儀式、目を驚かせり。
口忠実《くちまめ》なれど、思ふ事言はぬは、腹脹《はらふく》るる業《わざ》なれば、おさおさ此処《ここ》に書き付けぬ。
先《ま》づ供奉《ぐぶ》の人々には、土井大炊頭《どいおおいのかみ》、、、
[写本によって語句の差異あり]
【現代語訳】
今日は日も長閑《のどか》に照っているというので、将軍様(=徳川家光)が侍従殿(=堀田正盛)のお屋敷にいらっしゃいました。
この御成《おなり》の規模はもうスケールが大きく、ビックリして目を見張るばかりでした。
言葉数が多くなってしまいますが、思っていることを言わないと、腹に物がつかえているようで気持ち悪いので、この事に関しては、しっかりここに書くことにします。
まず、お供の人々には、土井利勝殿、、、
とあり、この後に土井大炊頭を始めとするお供の人々の名が書き連ねられ、将軍御成の様子が詳しく書かれています。
さすがに将軍の事など畏《おそ》れ多くて出版物に書くわけにはいかないので、『男色義理物語』では、バッサリとカットし、侍従の世継ぎが生まれたお祝いに書き換えたのでしょう。
オリジナルでは、本編とは直接関係のない将軍御成の描写が続くので、作者は「口忠実なれど、思ふ事言はぬは、腹脹《はらふく》るる業《わざ》なれば」と断りを入れています。
ところが、『男色義理物語』では、お祝いの様子はそれほど長くは書かれていないにもかかわらず、「口忠実なれど」の部分だけカットせずに中途半端に残してしまったので、違和感のある文章になっています。
みなさん、お忘れでしょうが、このお話は実話をもとにしています。
将軍家光が侍従のモデルである堀田正盛の屋敷を訪れたことも、ちゃんと寛永十七年四月十日の出来事として、徳川幕府の記録に残っています。
ただ、詳細な記録は残されていないので、作者は詳しく書き残しておきたかったのでしょうか?
それにしても、若衆たちの業務って、碁打ち、乱碁《らんご》、貝覆《かいおお》い、偏継《へんつ》ぎ[どんな遊戯かは、各自検索してみてくださいヾ(๑╹◡╹)ノ"]とかして遊ぶことなんですか?
うらやましいです(笑)
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