今日こそ『好色一代女』のお話を紹介しようと思ったのですが、ふと、別の作品に興味が出てしまい、ついついそっちを読んでしまいまして(笑)
その作品は山東京伝作・北尾重政画『皐下旬虫干曽我(さつきげじゅんむしぼしそが)』(寛政五[1793]年刊)です。
※国会図書館の画像を利用しました。
詳細画像は国会図書館のホームページで。
国立国会図書館デジタルコレクション - 皐下旬虫干曽我 : 3巻
4ページ目です。
これ、お話の冒頭の部分なのですが、興味があるのは左のページです。
どこに興味を持ったかはまたおいおい(笑)
せっかくなので、ついでに冒頭の右ページから読んでいきたいと思います。
あ、最後までは読みませんよ、読むのはこの左右2ページ分だけですから(笑)
では、右ページから、便宜上四つに区切りました。
翻刻・漢字に直して句読点を付けたもの・だいたいの訳・解説の順で載せます♪
翻刻に興味のない方は、すっとばして、だいたいの訳・解説だけを読むことをお勧めします(笑)
①
扨も建久四年ふじのすそのに
おいてちゝのあたをむくひたるそが
ものかたりも今ははや六百年の
むかし/\となれりしかるにかの
ぞがものかたりのしゝうをつら
/\おもへば木にむしのつき
たるがことくうつばりはしらと
なるべき木もむしのためにかるゝ
事ありにくむべくおそるべきは
人の心のどくむしなりそこで
これを二ツのしゆこうとなし
三さつの赤本につゞりて子供しゆ
のもてあそひにさづく東西/\
扨も建久四年、富士の裾野において、父の仇を報ひたる曽我物語も、今ははや六百年の昔々となれり。
しかるに、かの曽我物語の始終をつらつら思へば、木に虫の付きたるがごとく、梁柱となるべき木も、虫のために枯るる事あり。
憎むべく恐るべきは、人の心の毒虫なり。
そこで、これを二ツの趣向となし、三冊の赤本に綴りて、子供衆の弄びに授く。東西々々。
さてさて、建久四(1193)年、富士の裾野で父の敵を討った『曽我物語』のお話も、今はもう六百年も前の昔のことになりました。
ですが、『曽我物語』のお話を改めて最初から最後まで詳しく分析してみると、家の梁(はり)となるはずの立派な木も、小さな虫が付いてしまうだけで枯れてしまう事があるというのにたとえることができます。
つまり、憎んだり恐れなければならないのは、人の心に取り付いた毒虫です。
そこで、『曽我物語』と「虫」の二つをキーワードとして、子供たちのために三冊の赤本にまとめました。はじまり、はじまり♪
「虫」は人の感情などを左右するものを、「虫」の仕業だとたとえて言ったもので、
今でも「弱虫」「泣き虫」「金食い虫」「本の虫」「疳の虫」とか言いますよね。
『曽我物語』をその「虫」とからめて語ろうというわけです。
『曽我物語』は当ブログでも前にちらっとだけ出ましたが、覚えてらっしゃるでしょうか?(笑)
「赤本」は過去問題集のことではなく、子供向けの絵本のことです。
そう、当時の子供向けの本を、今では大の大人がひいこら言いながら読むというね(笑)
②
こゝにそがのらうぼまんこう
御ぜんにかみきりむしといふ
むしがたかりはこね山へのほせて
をきたるはこわう丸のもとへ
来りちゝかわづのぼだいのため
かみを切てしゆつけせよと
すゝむる
ここに曽我の老母・満江御前に髪切り虫といふ虫がたかり、箱根山へ登せて置きたる箱王丸の元へ来り、「父・河津の菩提のため髪を切て出家せよ」と勧むる。
曽我兄弟の母の満江(まんこう)御前に「髪切り虫」という虫が取り付いて、箱根山に預けておいた弟の箱王丸の元を訪れ、「父・河津の供養をするために髪を切って出家しなさい」と勧めます。
「髪切り虫」は実在の虫からですね。
「箱根山」は、「箱根権現」(現在の箱根神社)のことで、神仏習合の(神と仏が両方祭られた)神宮寺でした。
「出家」とはいうまでもなく、お坊さんになることです。
えと、そこのあなた!「満江(まんこう)御前」が気になっているようですが、突っ込みは入れませんからね!(笑)
③
此ときはこわうには一寸の
むしといふ虫がとりつきて
何とそちゝかわづのかたき
工藤すけつねを一ト太刀うら
まんと思ひこみいたれば
しゆつけすることをきらひ
ついにまんこうのかんどうを
うける一寸の虫に五分のたま
しゐとは此ことなり
此時、箱王には一寸の虫といふ虫が取り付きて、「何とぞ父・河津の敵、工藤祐経を一ト太刀うらまん」と思ひこみいたれば、出家することを嫌ひ、ついに満江の勘当を受ける。
一寸の虫に五分の魂とは此事なり。
この時、箱王丸には「一寸の虫」という虫が取り付いて、「何とかして父・河津の敵、工藤祐経を、一太刀(ひとたち)で討ち果たそう」と決めていたので、出家するのを拒否し、とうとう満江御前に親子の縁を切られてしまいました。
「一寸の虫に五分の魂」とはまさにこの事です。
「一寸の虫」は、本文中にもあるように「一寸の虫に五分の魂」ということわざからです。
意味は、「小さなものにも、それなりの意地や根性がある」ということです。
そっか、『曽我物語』は父の敵を息子が討つお話だとここでわかりました(笑)
④
鬼王新左衛門
にはさみむしが
とりつきはさみ
をもちきたり
これでかみを
きり給へと
とも/゛\
すゝむる
鬼王新左衛門に鋏虫が取り付き、鋏を持ち来り、「これで髪を切り給へ」と、共々勧むる。
曽我家の家臣の鬼王新左衛門には「鋏(はさみ)虫」が取り付き、鋏を持って来て、「これで髪をお切りください」と、満江御前と共に勧めます。
「鋏虫」も実在の虫からです。
このように、登場人物の行動は全て様々な「虫」が取り付いたことによるものだとして、話が進行していきます。
それにしても、赤丸で囲んでおいたように、服にちゃんと人物の頭文字が書いてあるからわかりやすいですよね(笑)
父が討たれる場面がはしょられ、いきなり母が子を訪れる場面から始まっているので、今の我々が読むとわかりにくいのですが、はしょっても大丈夫なぐらい『曽我物語』が世間に浸透していたことの現れでしょう。
そして、赤本なので、やはり子供向けのダイジェスト版的な制作方針だとも言えましょう。。
はい、今日はここで力尽きたので、続くっ!!!