続きです。
世之介はどうにかこうにかして、大坂の浮世小路にたどりつき、乳母の妹のもとでやっかいになります。
乳母の妹(ここでは「嚊[かか]」と呼ばれています)が何の商売をしているのかわかりませんが、世之介は嚊の所に出入りする女に興味を持ち、どういう素性の女なのか尋ねます。
嚊は、
「あれは問屋が、それなりの容姿の者を、東国や西国からのお客の世話をさせるために雇っている『蓮葉(はすは)』という者です。
蓮葉たちは自由奔放で、問屋の親方の目も気にせず、男狂いに明け暮れ、妊娠してもためらいなく堕ろしてしまいます。
衣類は人に貰い、お金もあるがままに使ってしまいます。
正月の着物も秋までには売り払って蕎麦や酒に替えてしまい、蓮葉仲間が集まれば帰ることも忘れて大笑いします。
蓮葉たちは神社やお寺にお参りする時も、足音高く、はしたないことを大声で話します。
そして、帰りもすぐには帰らず、金回りのいい男を宿に連れ込んで、これでもかと言うほど物をねだりるのです。
そして、最終的には労働者などと夫婦になり、所帯じみていくのです。
隠していても仕方ないので言いますが、実はここも蓮葉たちが使う出合宿(であいやど)なのです。」
と何もかも残らず話しました。
かくして世之介は今度は蓮葉にうつつをぬかし、二十三の年も暮れていったのでした。
九州から大坂までってかなり距離がありますよね。
一体、どうやって移動したのやら?
そのあたりのことは全く書かれていないのですが、船にでも潜り込んだのですかね?
※現在の表記は「大阪」ですが、この当時は「大坂」と表記しました。
「蓮葉」は「蓮葉女」とも言います。
※同じ西鶴作の『日本永代蔵』(貞享五[1688]年刊)巻二の五では「蓮葉女」と書かれています。
お客の世話というのは、もちろん、夜の床の相手をすることも含まれます。
植物の蓮の葉は、お盆のお供えを盛る時にしか売られないので、「その時だけ」という意味合いで、遊女のように馴染みを作るのではなく、遠国からの客の「その時だけ」の相手をする女性を「蓮葉」と言うようになったそうです。
軽率な女性のことを「はすっぱ」と言うようになりますが、これはこの「蓮葉女」の奔放な生態から派生した言葉です。
※「蓮葉女」「はすっぱ」の語源には諸説あります。
乳母の妹の商売はその蓮葉女が使う出合宿だったというわけです。
え?「出合宿」は何かって?
んもう、言わせないでください、今で言うラブ○テルのことですよ!(笑)
このあと世之介は家督を相続し、自由にお金を使って遊興した挙げ句、最後は女護の島に旅立つわけですが、さて、どうして今回、この話を取り上げたのか、その件については次回で!