長らく、更新が滞ってしまったので、今回は小ネタでもヾ(๑╹◡╹)ノ"
いやあ、私は元気なんですけど、取り上げたい作品がなくてですねえ。。。
私が住んでいる名古屋で人気な歴史上の人物は、信長・秀吉・家康の三英傑ですが、三英傑に次ぐ人気があるのが、第七代尾張藩主の徳川宗春《とくがわむねはる》です。
徳川吉宗(暴れん坊将軍)が質素倹約な享保の改革を実施したのに対し、規制緩和政策を実施した人物です。
結果、城下町は賑わったのですが、藩は大赤字になり、挙句の果てに藩でクーデターが起こり、吉宗に蟄居《ちっきょ》を命じられ、死後も墓に金網がかけられたとか。
で、この徳川宗春の肖像としてよく紹介されているのが、このヘンテコリンな格好をしている絵です。
不明 - 『歴史誕生14』NHK編/角川書店 「夢の跡」 藤園堂書店所蔵, パブリック・ドメイン, リンクによる
あ、諸々の制約上、ここでは、wikipediaにあった写しを表示しています。
オリジナルの画像は、こちらのリンク先の5枚目の画像をご覧ください。
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi13/chi13_01700/chi13_01700.html
ここには、なんて書かれているかといいますと。。。
【翻刻】
玉手新太良ハ。ゐふうなる
笠をきて。牛にのりしんき
に。けいせい町しばいゆるせし
ゆへ。しゆんけんにまハり帰る
道にて女郎共にあい。長き
きせるで。たばこのミ。ちかい
内に一くわいせんと。伊左ヱ門と
やくそくして。やしきへかへる。
小性いつれも腰をさす
小性共
御供する
玉手新太郎
うしにのり来る
助五郎
大あたり
しばいの
やぐらまく
【原文】
玉手新太郎は、異風《いふう》なる笠を着て、牛に乗り、新規に傾城町《けいせいまち》、芝居許せし故、巡見《じゆんけん》に回り、帰る道にて女郎共に会い、長き煙管《きせる》で煙草《たばこ》飲み、「近い内に一会《いつくわい》せん」と伊左ヱ門と約束して、屋敷へ帰る。
小性、何《いづ》れも腰を差す。
小性共、御供する。
玉手新太郎、牛に乗り来る。
助五郎、大当たり。
芝居の櫓幕《やぐらまく》。
【現代語訳】
玉手新太郎は、新たに遊郭と芝居小屋を出すことを許可したので、ヘンテコリンな笠をかぶり、牛に乗って、町を巡回し、帰り道で女郎(遊女)たちと会い、「近いうちに、女郎遊びをしよう」と、女郎屋の伊左ヱ門と約束して、屋敷へ帰りました。
小姓はいずれも腰に刀を差しています。
小姓たちが玉手新太郎のお供をします。
玉手新太郎は、牛に乗って来ました。
市山助五郎が玉手新太郎を演じて大評判になりました。
芝居の櫓幕《やぐらまく》。
この絵が描かれているオリジナルは、『けいせい夫恋桜《つまこいざくら》』(享保十七[一七三二]年刊)という絵入狂言本[歌舞伎の内容を絵本にしたもの]です。
この絵は歌舞伎の一場面を描いたもので、玉手新太郎は、徳川宗春がモデルとなった人物です。
つまり、この画像の人物は、徳川宗春本人ではなく、宗春をモデルとした人物を演じている歌舞伎役者の市山助五郎というわけです。
じゃあ、実際の宗春はこんなヘンテコな格好はしていなかったの?というと、そういうわけではありません。
宗春について書かれているほぼ唯一の資料の『遊女濃安都《ゆめのあと》』(天保十一[一八四〇]年写[成立はこれより前で、宗春逝去の明和元(一七六四)年より後])には次のように書かれています。
参考:列侯深秘録 - 国立国会図書館デジタルコレクション
【原文】
(享保十六年)四月十二日、御入部遊ばれ候。
此の節、浅黄の御頭巾、鼈甲《べつかふ》の丸笠、右笠の縁、二方、巻煎餅のごとく、上へ巻き上がり、唐人笠のごとく、御衣服黒にて、御足袋共に黒色、御馬召し為さる。
(享保十六年七月頃)
一、近郷にて白牛買ひ上げに付き、大代官飯島重左衛門御預かりの手代、罷り越し求め来る。
右牛、殊の外、思し召しに入り、御機嫌 能《よ》く、之に依り、右手代両人へ表立つ御褒美、金 二百疋《にひやくひき》づゝ。
渡邊宅左衛門 廣田利右衛門
一、諸寺社御参詣の節、右白牛に鞍、鐙《あぶみ》置き候て、猩々緋《しやうじやうひ》の装束、時々模様替り候へども、大方は右の通りにて、御衣服、是又時々替り候へども、毎迚《つねとて》も、御頭巾、唐人笠、五尺計りの御煙筒御持ち、奥御茶道衆、其の先担ぐ。
【現代語訳】
享保十六年四月十二日、徳川宗春公が尾張国にお入りになられました。
その時、宗春公は浅黄色の頭巾、鼈甲《べっこう》の丸笠を被っておられました。
この笠の縁は二か所、巻煎餅のように上に巻き上がっており、唐人笠のようでした。
お着物は足袋まで黒色で、馬に乗っておられました。
享保十六年七月頃、宗春公が近くの村で白牛をお買い上げになりたいということで、大代官飯島重左衛門が面倒を見ておられる手代が、白牛を買って参上しました。
宗春公は思いの外、この白牛をお気に入りになり、ご機嫌も良く、この手柄によって、二人の手代(渡辺宅左衛門と広田利右衛門)は、正式なご褒美として、金 二百疋《にひゃくひき》[一両を十万円で計算すると五万円]ずつ授けられました。
宗春公は、諸寺社にご参詣の際は、この白牛に鞍と鐙《あぶみ》を置かれてお乗りになり、着物の模様や装飾品などは時々変わりますが、大体は真っ赤なお着物で、頭巾と唐人笠を被られ、五尺[約150センチ]くらいの煙管《きせる》をお持ちになり、その先端を仕える茶坊主たちが担ぎました。
はい、ここで書かれている格好と、市山助五郎が演じている格好はほぼ同じですね。
なにしろ、宗春の肖像画は一枚も残されていないので、この絵こそ、宗春本人ではないものの、徳川宗春の姿を伝える唯一の絵というわけです。
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※北見花芽の中の人も少しだけ付録CDで担当しています。
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