続きでございます、九蔵の左手の中には???ヾ(๑╹◡╹)ノ"
下の方に現代語訳と解説がありますヾ(๑╹◡╹)ノ"
※この記事では国立国会図書館デジタルコレクションの画像を適宜改変して使用しています。
男色子鑑 5巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
【原文】
「夫婦《ふうふ》の人の歎《なげ》き、親の身にては断」と少人の手を見れば、不思議や、十三年が其の間、終《つい》に開かぬ手を開けば、親立《おやたち》も玄斎《げんさい》も「是ハ/\」と驚き、立ち寄り手の内を見れば、少《ちひ》さき紙《かミ》に一首の哥を書き付けぬ。
「無き人も今ハ仏に成りけらし 名のミ残《のこ》りて苔《こけ》の下露《したつゆ》」[「苔の下[墓の下]」と「下露[草木の露]」を掛けてつなげた]
玄斎、是に気の付きて文字に直《なお》して見れバ、高野山にて切り付けたる、
「無人今成仏《むにんこんじやうぶつ》 名残苔下露《めいざんたいかろ》」
(無き人も今ハ仏に成りけらし 名のミ残りて苔の下露)
と云ふ、牌《ひ》の銘《めい》、玄斎つく/゛\と思案して、
「實《げ》に鹿之介 相果《あひは》てしより十三年、扨は疑ひも無き鹿之介が再来《さいらい》」
と、二人の親に始終《しじう》を語れば、かほどに深《ふか》き縁を感じ、其の里の片原《かたハら》に一宇《いちう》の堂を建立《こんりう》し、鹿魂寺《ろくこんじ》と名付け、玄斎を住持《じうぢ》に据へ、九蔵も則ち弟子と為し、現在に二世の因《いん》、肖《あやかり》り物ハ此の法師。
【現代語訳】
「夫婦の人が歎くのも、親の身としては当然のことだ」
と玄斎《げんさい》[佐左衛門]は思い、九蔵の手を見ると、不思議なことに、十三年もの間、全く開かなかった手を開いているではありませんか。
両親も玄斎も「これはどういうことだ」と驚き、近寄って手の中を見ると、小さい紙に一首の歌が書かれていました。
「無き人も今ハ仏に成りけらし 名のミ残《のこ》りて苔《こけ》の下露《したつゆ》」
(亡くなった人は今はもう仏になってしまったでしょう。墓石に刻んだ名前だけが残ってますが、それもそのうち苔にまみれて露に濡れることでしょう)
玄斎、ふと気づいて漢文に直すと、
「無人今成仏《むにんこんじやうぶつ》 名残苔下露《めいざんたいかろ》」
という、玄斎が高野山で墓石に刻んだ文字でした。
玄斎はよくよく考えて、
「まさしく鹿之助が亡くなって十三年、これは間違いなく、九蔵は鹿之助の生まれ変わり」
と、両親に事の一部始終を語りました。
両親はたいそう深い縁を感じ、この村の外れに一軒のお堂を建て、鹿魂寺《ろくこんじ》と名付け、玄斎を住職にし、そこで九蔵も弟子となりました。
前世からの因縁で、生まれ変わった鹿之助に再び巡り合うことが出来た、この玄斎法師にあやかりたいものです。
【解説】
突然、ここで「佐左衛門」の名が「玄斎」になっています。
本来なら、出家した時に「佐左衛門は玄斎と名を改め」とか書くべきだと思うのですが、忘れたのか、めんどくさかったのか、ちょっと不親切ですね。
「無人今成仏 名残苔下露」って文字も、墓石に刻んだシーンでも書いておけば、ちゃんとした伏線になるのに書かなかったのも、不親切というかお粗末というかヾ(๑╹◡╹)ノ"
お話はこれで終わりですが、この記事はもうちょっとだけ続きますヾ(๑╹◡╹)ノ"
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