『伽婢子《おとぎぼうこ》』[浅井了意作、寛文六(一六六六)年刊]巻三の三「牡丹灯籠」
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
新日本古典籍総合データベース
【原文】
「聖霊《しやうりう》祭りの営みも、今年ハ取り分き此の妻さへ亡き名の数に入りける事よ」
と経読ミ、回向して、終《つゐ》に出ても遊バず、友達の誘ひ来れども、心 只《たゞ》浮き立ゝず、門《かど》に佇《たゝず》ミ立ちて、浮かれ居《お》るより外ハ無し。
「如何なれば 立ちも離れず 面影の 身に添ひながら 悲しかるらむ」
と打ち詠《なが》め、涙を押し拭《ぬぐ》ふ。
十五日の夜、いたく更けて、遊び歩《あり》く人も稀《まれ》になり、物音も静かなりけるに、一人の美人、其の年、廿《はたち》バかりと見ゆるが、十四五ばかりの女の童《わらハ》に美しき牡丹花《ぼたんくハ》の灯籠《とうろう》持たせ。さしも緩やかに打ち過ぐる。
【現代語訳】
「精霊祭りで弔われる人々の数の中に、今年は私の妻の名前も入っているのかと、特に思うものがある」
と、荻原はお経を読み、供養をして、せっかく外に出たのに遊ぶこともしませんでした。
友達が誘ってきましたが、心は全く浮き立たず、門前にたたずんで立ち、ぼーっとするだけなのでした。
そして、荻原は、
「妻の姿は常に目に浮かび、私の身から離れないのに、どうしてこんなに悲しいのだろう」
と詠み、涙を流して強く拭くのでした。
十五日の夜、たいそう夜も更けて、遊び歩く人もほとんどいなくなり、物音も静かになった頃、二十歳くらいと思われる一人の美女が、十四、五歳くらいの女の童に、美しい牡丹の花が飾られた灯籠を持たせて、荻原の前をいかにもゆっくりと通り過ぎました。
【解説】
お祭りではしゃぐ気にもなれず、亡き妻の事を思って、ずっと悲しんでいる、かわいそうな荻原さん。
そんな荻原さんの前に、美女が現れます。
ただ、美女が童に持たせている、牡丹の花が飾られた灯籠って、生きている人のためのものではなくて、確か、、。
僕はよく「牡丹の花」って言われるよヾ(๑╹◡╹)ノ"
おーい、聞き間違いだよ~、「ぼたんのはな」じゃなくて、「おたんこなす」って言われてるんだよヾ(๑╹◡╹)ノ"
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