『伽婢子《おとぎぼうこ》』[浅井了意作、寛文六(一六六六)年刊]巻三の三「牡丹灯籠」
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
新日本古典籍総合データベース
【原文】
始めハ君が心ざし浅からざる故にこそ、我が身を任せて、暮に行《ゆ》き、朝《あした》に帰り、何時迄草《いつまでぐさ》[植物のキヅタのこと。「何時迄も」という言葉を導くために使われている]の何時迄も絶えせじとこそ契りけるを、卿公《きやうのきミ》とかや情け無き隔《へだ》ての禍《わざハひ》して、君が心を余所にせしことよ。
今、幸《さいわ》ひに逢ひ参らせしこそ嬉しけれ。
此方《こなた》へ入り給へ」
とて、荻原《おぎハら》が手を取り、門より奥に連れて行《ゆ》く。
召し連れたる荻原が男《おとこ》ハ肝を消し、恐れて逃げたり。
家に帰りて人/\に告げゝれば、人皆驚き、行きて見るに、荻原は既に女の墓《はか》に引き込まれ、白骨《はくこつ》打ち重なりて、死《し》して有り。
寺僧《じそう》達、大いに怪しミ思ひ。やがて鳥部山《とりべやま》に墓を移す。
其の後、雨降り、空曇る夜ハ、荻原と女と手を取り組ミ、女《め》の童《わらハ》に牡丹花《ぼたんくハ》の灯籠《とうろう》灯《とも》させ、出て歩《あり》く。
是に行き逢ふ者ハ、重く煩《わずら》ふとて、辺り近き人ハ恐れ侍りし。
荻原が一族《いちぞく》、是を歎きて、一千部《いつせんぶ》の法華経《ほけきやう》を読ミ、一日頓写《いちにちとんしや》の経《きやう》を墓《はか》に納めて弔《とぶら》ひしかバ、重ねて現れ出ずと也。
【現代語訳】
始めはあなたの思いが深かったので、私はあなたに身を任せて、日が暮れたらあなたの家に行き、朝になったら帰ることを続けました。
いつまでも二人の愛は絶えることは無いと誓ったはずなのに、卿公とかいう奴が、情け容赦なく私たちを離れ離れにする呪術を使って、あなたの心を私から遠ざけてしまった。
今日は、幸いなことに、こうして会いに来てくださって、嬉しいです。
こちらにお入りください」
と言って、弥子は荻原の手を取り、門から奥に引っ張って連れて行きました。
召し連れていた荻原の下男は、とても驚いて、恐ろしくなって逃げてしまいました。
下男は家に帰って、まわりの人々にこのことを報告すると、人々はみんな驚き、万寿寺に行ってみると、荻原はすでに弥子の墓に引きずり込まれて、白骨に折り重なって死んでいました。
万寿寺の僧たちは、とても不気味に思い、すぐに鳥部山《とりべやま》[京都の葬送地]に弥子の墓を移しました。
それから、雨が降って空が曇る夜は、荻原と弥子は手を取り合って、女の童に牡丹の花の灯籠を灯《とも》させ、出歩きました。
これに出会ってしまった人は、重い病気になるということで、近辺の人は恐れました。
荻原の一族は、このことを嘆いて、一千部の法華経を読み、一日で書き写した経を墓に納めて弔ったところ、二度と現れませんでしたとさ。
【解説】
はい、結局、弥子さんのゆがんだ愛(?)の力によって、荻原さんは弥子さんが暮らす、死後の世界に連れていかれたのでした。
驚いて逃げたという事は、下男には弥子さんが美女ではなく、白骨に見えていたんでしょうね。
荻原さんを死後の世界に引きずり込んでもなお、弥子さんは成仏できなかったようで、今度は二人で雨の夜に幽霊となって現れて、人々を惑わすようになります。
最後は法華経の力で二人は成仏できたようですが、仏教説話的な側面があるんですかね?
というか、かかわりたくないから、さっさと弥子さんの墓を移してしまう万寿寺の僧ってヾ(๑╹◡╹)ノ"
まあ、みなさん、弥子さんが荻原さんを狙った理由とか一切書かれていなくて、色々とモヤモヤすると思いますが、その辺りに想像をめぐらすのも、江戸文学の楽しみ方であり、江戸文学の魅力だという事にしといてくださいヾ(๑╹◡╹)ノ"
挿絵は、荻原さんが弥子さんに引っ張られて、下男が逃げる場面です。
夜中に三つ目に出会った人は、、、
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