『義公黄門仁徳録《ぎこうこうもんじんとくろく》』[江戸中後期成立か。呑産通人(呑産道人)作]巻二十七「下総国八幡宮藪を八幡知らずと申す事」
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
新日本古典籍総合データベース
【原文】
御家臣の面〻、何《いづ》れも「如何なり給ふ事や」と、心も心ならず、差し控へ居たりけれども、何れも評義して申す様《やう》、
「たとへ御𠮟りを被《かふむ》るとも、此の侭《まゝ》に打ち捨てゝおくべき事に非ず。
我/\御跡を従ひ奉り、御様子を見届けずんバ、臣たる者ゝ道、立つべからず」
と申しけれバ、何れも「尤《もつと》も」と同意して、藪の中へ入りしに、巡り/\てハ元の處へ出たり。
「是、如何なる事ぞや」と、又、藪の中へ入りしに、巡り/\てハ元の所へ出たり。
此の事、都合 四度《よたび》に及びけれバ、何れも目と目を見合わせ、呆れ果てたる計《ばか》りにて、
「詮方《せんかた》無くも、義公様の御帰りを待つより外《ほか》無し」
と拳《こぶし》を握り、藪を睨《にら》み詰めて控へ居たり。
斯《か》くて義公様ハ、段/\藪の内を奥深く入り給ふに、道四五丁も入り給ふに、大きなる池有りて、更に何方《いづかた》へも行《ゆ》くべき様《やう》無し。
是故《これゆへ》に暫《しば》し佇《たゝず》ミ給ひ、「如何せん」と思へ給ふに、此の池水、次第《しだひ》/\に向かふの方へ引き行《ゆ》く故に、是に付いて段/\と御足を運ばセ給ふけるに、終《つひ》に其の水、一滴《いつてき》も無く、残らず何方へ行《ゆ》きおしか知れづ。
然《さ》れども、ちつとも動じ給わず進み給ふ所に、
【現代語訳】
ご家臣たちは皆、「どうなされたのだ」と、気が気でなく、義公様[黄門様]の言いつけを守り、その場に控えてはいたものの、
「たとえ、お𠮟りを受けても、このまま放っておくわけにはいかない。
我々は義公様の後を追って、ご様子を見届けなければ、家臣としての道が立たない」
と皆で話し合い、全員が「その通り」と同意して、藪の中に入りました。
しかし、巡り巡って、元の場所に戻ってきてしまいました。
「これはどうしたことだ」と、また、藪の中に入りましたが、巡り巡って、元の場所に戻ってきてしまいました。
これが四回続いたので、ご家臣たちは皆、目と目を見合わせ、呆然《ぼうぜん》とするばかりでした。
ご家臣たちは、
「どうしようもないので、このまま義公様のお帰りを待つしかない」
と拳を握りしめて悔しがり、藪を睨みつけて控えるしかありませんでした。
こうして、義公様は、段々藪の中を奥深くお入りになり、四、五丁[約五〇〇メートル]ほどお進みになったところで、大きな池が道を塞《ふさ》いで、全くどこにも進めなくなってしまいました。
仕方ないので、しばらくその場にお佇《たたず》みになられ、「どうしたものか」とお思いになられていると、この池の水が次第に向こうの方へ引いて行くので、これに付いて行って少しずつお進みになられると、とうとう池の水は一滴もなくなり、残らずどこに行ったか分からなくなりました。
しかし、義公様は少しも動揺なさらず、先にお進みになられました。
【解説】
黄門様の姿が見えなくなったので、家臣たちは言いつけを破って黄門様の後を追って藪の中に入りますが、なぜか藪の中を進めず、巡り巡って元の場所に戻ってしまいます。
どうやら、八幡知らずの主(?)は、家臣たちを寄せ付けず、黄門様一人をターゲットにしたようで、なかなか手強い奴のようです。
一方、黄門様は、池が現れては無くなるという怪異に驚きもせず、先に進んで行きます。
ぼくも、いくら進んでも、元の場所に戻って来ちゃう事がよくあるよ。
君の場合はただの方向音痴だけどね。
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