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国立国会図書館デジタルコレクション
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【原文】
下の巻 山下
弁天を出て、山下に掛かりければ、此処《こゝ》にハ芝居、軽業《かるわざ》、浮世物真似《うきよものまね》、色/\の見世物有れば、群衆《くんじゆ》の中、押し分けて行《ゆ》くに、豆蔵《まめぞう》、抜き身を呑むを見て、二人ハ肝を潰し、
「アレ/\、見なさろ。
抜き身さあ、くん呑むそふだア。
あれさあ呑んだら打つ死《ち》ぬべいに、放題も無い人《ふと》だア、もし」
案内
「抜き身どころか、江戸にハ家蔵ハ疎《おろ》か、地面抱へ、屋敷までも皆呑んでしまう人ハ、幾《いく》らも有る」
延高《のびたか》
「飛んだァ事を言ひ召さらァ。
そんなァ者《もん》が有んとして、くん呑まれべい。
今にあの人《ふと》が抜き身さあ、くん呑んで、打つ死《ち》ぬべいから、見て行ぐべい」
豆蔵
「御覧の通り、抜き身ハ呑んでしまいました、と言ふハ噓の皮。
呑んだと見せ、有り様《やう》ハ、股座《またぐら》に此の通り。
此処は山下、儂ハお前《めえ》方を騙したのさ」
延高
「ハァ、それで聞こへた。
あの人《ふと》ハ正直な人《ふと》だァ、もし」
「江戸つ子の口ハ、何でも呑むから、大きいにつれて、尻《けつ》の穴も強的《ごうてき》に広いのさ」
「『お猿の尻《しり》ハ真つ赤いな、お江戸の尻《けつ》はでつかいな』が聞いて呆れる」
【現代語訳】
下の巻 山下
不忍池《しのばずのいけ》の弁天堂を出て、山下に通りかかると、ここには芝居、軽業《かるわざ》[曲芸]、浮世物真似《うきよものまね》[人の日常や動物の鳴き声などの物真似]、色々な見世物がありました。
人混みの中を押し分けて行くと、豆蔵《まめぞう》[大道芸人]が刀身を飲んでいるのを見て、千久羅坊《ちくらぼう》と鼻毛延高《はなげののびたか》の二人はビックリしました。
千久羅・延高
「あれまあ、見なされ、刀身を飲み込むそうだあ!
あんなの飲みこんだら、死んじまうのに、どうしようもない人だなあ、もし」
案内人
「刀身どころか、江戸には家蔵[財産]はもちろんのこと、地面を抱えて屋敷まで、みんな飲み込んでしまう人は、いくらでもいる」
延高
「とんでもない事を言いますなあ。
そんなものを飲み込むことはできないべ
今からあの人が刀身を飲み込んで、死んじまうだろうから、見ていくべ」
豆蔵
「ご覧の通り、刀身は飲み込んでしまいました、、、というのは嘘ぴょ~ん!
飲み込んだと見せかけて、実際は股ぐらに、この通り隠しています!
ここは山下[やました]、ワシはお前さんたちを騙した[だました]のさ」
延高
「はあ、そういうことだったのか。
あの人は正直な人だなあ、もし」
見物人A
「江戸っ子の口は何でも飲み込むから大きいんで、飲み込んだものを出す尻の穴もとてつもなく広いのさ」
見物人B
「『お猿のお尻は真っ赤っかだな、江戸っ子のお尻はでっかいな』ってか、バカバカしい」
【解説】
不忍池の弁天堂を出て向かった山下は、遊興が多く行われていました。
刀を飲む大道芸は、今でもありますね。
山下という地名は、東叡山[寛永寺]の下という意味のようです。
現在の上野駅あたりですね。
案内人は一気に財産を得たり失ったりする江戸のスケールの大きさをたとえてシャレで言っているのに、田舎者の延高に冗談は通じず真に受けてしまいます(笑)
刀を飲む大道芸も、種明かしまでがネタなのに、田舎者の延高には理解できず、正直者だと感心してしまいます(笑)
見物人は、江戸っ子が何にでも興味を持つけど飽きっぽいことをたとえて言っているわけですが、尻の穴云々はちょっと品がないですね(笑)
挿絵の見物人の右二人は町人ですが、左の人物は武士です。
武士と町人が仲良く大道芸を見ているのが、意外でほほえましいですね。
弁天堂と山下の位置関係はご覧の通りです。
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地図には何も書かれていないので、山下がどんな感じだったか、『江戸名所図会』でどうぞヾ(๑╹◡╹)ノ"
色々な遊興があって、テーマパークみたいですねヾ(๑╹◡╹)ノ"
ここで出てきた豆蔵[大道芸人]は中央下に描かれています。
僕の頭はフッサフサヾ(๑╹◡╹)ノ"
僕の頭はピッカピカヾ(๑╹◡╹)ノ"
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