お菊虫に関しては、暁鐘成《あかつきかねなる》『雲錦随筆《うんきんずいひつ》』(文久二[一八六二]年刊)巻一に図入りで書かれています。
国書データベース
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
【原文】
〇播州巡覧圖會《ばんしうじゆんらんづゑ》ニ云《い》わく、皿屋敷の世話《せわ》ハ、児女子《じぢよし》の口にのミ殘りて、書き傳へたる物無し。
適《たま/\》播州志《ばんしうし》の類《るい》に聞ゝ書き等《など》有れども、芝居の下手趣向《へたしゆかう》に似て、必ず偽作《ぎさく》とハ見えたり。
寛政七年卯年《くハんせいしちねんうどし》、お菊虫と言ひて持て囃《はや》せり。
世俗《せぞく》にお菊の年忌毎《ねんきごと》に出づると言へり。
是《これ》、妄談《もうだん》の甚《はなハ》だしき也。
漢名《かんみやう》を蛹《よう》と言ひて、毛虫等の蝶《てふ》に成らんとす前に、先《ま》づ斯《か》くの形に變ハれり。
蚕《かいこ》も是に同じ。何處《いづく》にも多き物也。必ず迷ふべからず。
蠶《かいこ》化《け》して蛹と成り、蛹化《ようけ》して蛾《が》と成ると、字書《じしよ》に見えたり云々《うんぬん》。
此の説、尤《もつと》も也。尒《さ》も有るべし。
然《しか》し乍《なが》ら、其の蟲を得て、能々《よく/\》閲《けミ》するに、奇也と言ふも亦《また》、無理ならず。
正しく女の後手《うしろで》に搦《から》められ、木に括《くゝ》り付けられたる形象《かたち》也。
尤も、其の背を搦ミ付けたるハ、糸針金の如き物にて、至つて堅く強く、葛《かづら》の類《たぐい》にや、詳《つまび》らかならず。
括りし木は細き枝也。然《しか》れば身体《しんたい》を木の枝に搦ミ付けられたれバ、全く動く叓《こと》能《あた》はず。
斯ゝれバ、蛹化して蛾と成らんと欲する所の形なるべし。
又、蝉の脱《ぬけがら》の如き者にも非《あら》ず。奇也と言ふも亦、宜《むべ》也。
播州皿屋敷と言へる浄瑠理ハ、元文六年辛酉《げんぶんろくねんかのとのとり》七月十五日より豊竹座《とよたけざ》ニ於《お》いて始めて興行せしと云ふ。浄留理外題年鑑《じやうるりげだいねんかん》
是ハ、往昔《いにしへ》江戸番町の辺《ほとり》に何某《なにがし》と言ふ人の家に什来《じうらい》重宝《ちやうほう》の皿有りけるが、若《も》し過《あやま》ちて破《わ》る者有らバ、其の者の命を取るべしと、豫《かね》て其の家の掟《おきて》なりしが、其の主《あるじ》たる人、侍女《こしもと》に戀慕《れんぼ》し、従ハざるを遺恨《いこん》ニ、悪計《あくけい》を以て、皿一枚を破りて、侍女に罪を課《お》ふせ、終《つひ》に渠《かれ》を殺し、庭の古井《ふるゐ》ニ沈めし其の幽魂《ゆうこん》現れ、祟《たゝ》りを為《な》せしとなん。
其の女を菊と呼びし由《よし》、此の番町を播州に戯作《げさく》せし物と、或《あ》る古写本に見えたれども、事実、詳《つまび》らかならず。
又、上野国《かうづけのくに》の士人《しじん》の家に什来《じうらい》の重宝《ちやうほう》の皿、二十枚有りて、若し是を過ち破る者有る時ハ、命を断ゝんとの掟たり。
然《しか》るに、侍女《こしもと》過ちて、一枚破りし程ニ、命を取られなんと怖《おのゝ》き震ひしを、當家の米舂男《こめつきおとこ》、是を聞ゝて、此の女を哀れみ、終に殘る十九枚共に、一時に打ち砕き、諸人《しよにん》の難義《なんぎ》を救はんとせしかバ、主人、大ひに其の義氣を感じ、米舂の男を執《と》り立てしと言へる説を戯作せし由、近来《ちかごろ》発行の積翠閑話《せきすいかんわ》に委《くわ》しく見えたり。尒も有らんか。
〇阿菊虫《おきくむし》の真写《しんしや》
正面の図 長サ 凡《およ》そ一寸二分余り
横より見る圖 細き糸の如き物にて搦め付けたり 此の尾、枝に付きて離れず
【現代語訳】
〇『播磨名所巡覧図会《はりまめいしょじゅんらんずえ》』には、次のように書かれています。
「皿屋敷」という話は、子どもたちの間だけで語り伝えられたもので、書き伝えられた書物はありません。
たまに、播州[播磨国《はりまのくに》。兵庫県]について書かれた書物の中に、聞き書きなどがありますが、「皿屋敷」を扱った芝居のつまらない趣向と同じような内容で、芝居を元にした作り話であることは間違いありません。
寛政七年卯年[一七九五年]に、お菊虫というものが発生して、たいへん話題になりました。
世間では、お菊の年忌《ねんき》ごとに発生すると言われていますが、とんでもないデタラメです。
お菊虫というものは、中国での名称を蛹《よう》と言って、毛虫などが蝶になろうとする前に、まずこのような形に変わるのです。
蚕《かいこ》もこれと同じで、どこにでも多くいるものなので、決して惑わされていはいけません。
蚕は変化して蛹になり、羽化して蛾になると、辞典にも書いてあります。etc
この説には説得力があり、その通りだと思われます。
しかし、そのお菊虫を手に入れて、よくよく調べてみると、奇妙だと言うのも無理はありません。
間違いなく、女が手を後ろにして拘束され、木に縛り付けられた姿に見えるのです。
もっとも、その背を縛り付けているのは、糸や針金のようのもので、とても堅くて強く、つる草の類《たぐい》なのか、よく分かりません。
縛り付けられた木は、細い枝です。
このように体を木の枝に縛り付けられているので、全く動くことはできません。
これは、羽化して蛾になろうとしている姿なのでしょう。
蝉の抜け殻ともまた違うので、奇妙だと言うのも無理はないのです。
『播州皿屋敷《ばんしゅうさらやしき》』という浄瑠璃は、『今昔操浄瑠璃外題年鑑《こんじゃくあやつりじょうるりげだいねんかん》』によると、元文六年 辛酉年《かのとのとりどし》[一七三六年]七月十五日から、豊竹座《とよたけざ》で初めて興行がされたと言います。
『播州皿屋敷』に関しては、
昔、江戸番町の辺りの、ある人の家に、ずっと大事にされてきた家宝の皿がありました。
もし、この皿を過失で割る者がいたら、その者の命を取るというのが、ずっとその家の掟《おきて》でした。
その家の主人は、ある腰元に思いを寄せたのですが、その腰元が従わなかったのを恨み、悪巧みで皿を一枚割り、その腰元に罪を負わせて殺してしまい、庭の古井戸に沈めました。
その腰元の幽霊が現れ、祟《たた》りを起こすということです。
その腰元の名を菊と言って、この番町を播州に改めて演劇化したのが、『播州皿屋敷』という浄瑠璃です。
と、ある古写本に書かれていたのですが、事実かどうかは、よく分かりません。
また、
上野国《こうずけのくに》[群馬県]の武士の家に、ずっと大事にされてきた家宝の皿が二十枚ありました。
もし、この皿を過失で割る者がいたら、その者の命を取るというのが、その家の掟でした。
しかし、その家の腰元が過失で皿を一枚割ってしまい、「命を取られてしまう」と恐れて震えていました。
この家の米舂男《こめつきおとこ》[米をついて精白する人]がこのことを聞いて、この腰元を哀れに思い、とうとう残る十九枚の皿を一度に打ち割って、腰元の罪を被った上に、これから先、この皿を割って命を取られる人が出ないようにしました。
この家の主人は、大いに意気に感じ、米舂男を武士に取り立てました。
という話を元に創作したのではないかという説が、最近発売された『積翠閑話《せきすいかんわ》』に詳しく書かれています。
おそらく、そういうことでしょう。
【解説】
本文と作者が他の書物を引用した箇所が分かりにくかったので、【現代語訳】では、本文と引用箇所とで、色を変えておきました。
ここで引用元が明記されている、『播州巡覧図会』『今昔操浄瑠璃外題年鑑』『積翠閑話』を実際にご覧になりたい方は、リンクを貼っておきましたので、ご参照くださいませ。
村上石田《むらかみせきでん》『播磨名所巡覧図会』[文化元(一八〇四)年刊]
播磨名所巡覧図会 5巻 [4] - 国立国会図書館デジタルコレクション
一楽《いちらく》『今昔操浄瑠璃外題年鑑』[宝暦七(一七五七)年刊]
国書データベース
中村経年《なかむらつねとし》『積翠閑話』[安政五(一八五八)年刊]
国書データベース
「皿屋敷」の起源に関しては、現在でも諸説あり、はっきりとは分かっていないので、この資料に書かれている説は、あくまでも一説としてご覧ください。
で、問題はお菊虫ですよ。
この資料にはお菊虫のリアルなスケッチが描かれているので貴重です。
確かに、縄で縛られた女性に見えないことはないですね。
昔の人はやっぱり想像力が豊かです。
ぶっちゃけ、お菊虫の正体は何かというと、ジャコウアゲハの蛹《さなぎ》です。
虫が苦手でない方は、「お菊虫」で検索すると、実際の写真がいくらでも出てきますので、どうぞヾ(๑╹◡╹)ノ"
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