国書データベース
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
【原文】
祐天《ゆふてん》、詳しく聞《き》ゝ得《え》させて、十念《じふねん》を授《さづ》け、「菊《きく》か助《すけ》か」と問へバ、「菊《きく》也」と言ふ。
「助ハ」と有れバ、「傍《かたハ》らに居《い》る」と言ふ。
頓《ヤが》て、單到直入《たんとふじきにふ》と法名《ほふミヤう》書き給ひて、仏檀《ぶつだん》に張らせけれバ、菊《きく》、指差《ゆびざ》しして、
「あれ/\、只今、助《すけ》が仏擅《ぶつだん》へ行きし」
と言へバ、傍らの人〻も、雲烟《うんえん》の様《ヤう》に稚《をさな》き者《もの》の形《かたち》を見ると思へバ、忽《たちま》ち光明《くハうミヤう》赫奕《かくやく》として、家内を照《て》らしけり。
与右ヱ門も甚《はなハ》だ慚邪《ざんじや》懺罪《ざんざい》して、髪《かミ》を剃り、西入《さいにう》と改名《かいミヤう》し、單直《たんじき》に念仏し、延宝四年六月廿三日に終ハりしが、七日前より死を知りて、称号《セうごう》怠らず、聖相《しヤうぞう》拜《はい》せし事共、詳しく語りて往生《ワうじヤう》せしとなり。
【現代語訳】
祐天は、しっかりと助に言い聞かせ、十念を授けました[名号を十回唱えて阿弥陀仏との縁を結ばせること]。
そして、祐天が菊に、「お前は、菊か? 助か?」と聞くと、菊は、「菊でございます」と答えました。
続けて、祐天が「助は?」と聞くと、菊は、「横に居ます」と答えました。
祐天は、すぐに 助に単到直入《たんとうじきにゅう》[『古今犬著聞集』では「単到真入」]という戒名をつけてお書きになり、仏壇に張られました。
すると、菊が指を差して、
「あれあれ、たった今、助が仏壇に行きました」
と言うと、その場にいる人々も、雲か煙のような幼い者の姿を見ました。
その途端に光が輝いて家の中を照らしました。
与右衛門も、とても罪を恥じて反省し、髪を剃って出家し、西入《さいにゅう》と改名して、ひたすら念仏をし、延宝四[一六七六]年六月二十三日に亡くなりました。
与右衛門は、亡くなる七日前から、自分の死を悟り、念仏をおこたらず、聖人の姿を拝見したことなどを詳しく語って、往生したということです。
【解説】
助も成仏して、めでたしめでたし、ということでヾ(๑╹◡╹)ノ"
この『新著聞集』「絹川の二霊念仏生を転ず」以降、「累ヶ淵」の物語は、演劇化もされて評判となり、明治時代には、三遊亭円朝の落語『真景累ヶ淵』によって不動の人気を得るのでした。
さて、今回紹介した『新著聞集』「絹川の二霊念仏生を転ず」とほぼ同内容の『古今犬著聞集』「幽霊成仏之事」を大幅に脚色した『死霊解脱物語聞書』の大ヒットによって「累ヶ淵」の物語は世間に広まったのですが、果たしてこのお話は実話だったのでしょうか?
ただ言えることは、祐天が実在の人物だということです。
『古今犬著聞集』『死霊解脱物語聞書』どちらにも、もちろん祐天は登場するのですが、気になるのは、『古今犬著聞集』『死霊解脱物語聞書』どちらも、祐天の存命中に書かれたものということです。
『死霊解脱物語聞書』が出されたのち、祐天は増上寺の法主にまで出世するのですが、はてさて、これが何を意味するのか、私には分かりませんヾ(๑╹◡╹)ノ"
わ~い、今日はこどもの日だヾ(๑╹◡╹)ノ"
昨日だし、君には関係ないしヾ(๑╹◡╹)ノ"
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