『男色義理物語』巻三の一気読みでございます。
巻一と巻二の一気読みはこちら。
読みやすいように、省略したり意訳したりしていますので、ちゃんと読解したい方は、個別のページをごらんくださいませ。
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諸事情により、PC版と同じデザインになっています。なるべくスマホでも読みやすいようにはしているのですが、もし、字が小さいと感じた場合は、スマホを横にして拡大すると読みやすいと思います。
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霞亭文庫 · 男色義理物語 · 東京大学学術資産等アーカイブズ共用サーバ
男色義理物語 : 4巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
※赤字の書入れ等は筆者。
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『男色義理物語』巻三「義理に思いを寄せる恋」
それから、例のうっとしい後藤式部は、渋川露斎法師に向かって、いかにも懇願《こんがん》するといった顔付きで、
「それにしても、縁があって頼み申し上げた一件は、どのようになっておりますか。
我が身は憂き身(つらい身の上)で、憂き世(つらい世の中)には憂き境界《きょうがい》(つらい境遇)があります。
この三つ(身・世・境界)の違いが、私の中ではハッキリしていません。
それを解決していただける良き友として、露斎様をお頼み申しました。
なので、この三つの違いをハッキリさせて、私の心が休まるようなわずかな言葉でもいいので、ぜひともご教示してくださいませ」
と、要は、
「頼母ちゃんとのことはどうなってるんや、悶々《もんもん》としてして仕方ないから、早くなんとかハッキリさせいっ!」
ということを、回りくどく言いました。
露斎も、いかにも困った顔つきで、
「そのことなのですが、たった今、頼母殿の所から帰ってきたところです。
手を変え品を変え、色々と言葉巧みに説得したのですが、ロクに聞いてもくださらないばかりか、憎たらしい言葉を返されるほどです。
どうやら、頼母殿にはお相手がいらしゃるようです。
頼母殿には適当に言いあしらわれてしまったので、もはや頼母殿が式部殿に情けをかけることはないでしょう。
今はキッパリと頼母殿に心を寄せることをおやめになるか、そうでなければ、お腰につけてらっしゃる刀にどうするかお尋ねになってくだされ。
それが式部殿の心が休まる方法です。
この露斎もお手伝いしますので」
と深見頼母を討つように、式部をそそのかしたのは、なんとまあ嘆かわしい事です。
ただでさえ気の短い式部は、この話にますますテンションマックスになって、
「よしよし、近いうちに殺《や》っちまおう」
と言って、それからは、頼母をだまし討ちにして、ほかの国に逃げる計画をひたすら練《ね》るのでした。
このことは深く隠しているつもりだったのですが、その様子が他から見てもバレバレだったので、頼母の耳にも入り、頼母は「もはや逃れられぬ」と覚悟を決めました。
「この件を采女殿に知らせなかったら、あとでひどく恨まれるでしょう。
しかし、ここぞとばかりに言い知らせるのも、采女殿を巻き込んでしまい、武士たるものの尊厳を失うような行為となるのではないかと。
どうしたものか」
と、伊勢の海で釣りをする海人《あま》の釣り竿に付いているウキのようにフラフラと、知らせるか知らせざるべきか、心をどちらか一つに決めることができませんでした。
「いやいや、采女殿は、長い間衰弱するほど私に恋い焦がれていたにもかかわらず、仲立ちの内蔵之助殿が私に采女殿の思いを伝えようとすると、『頼母殿を巻き込むことになります』と、キツく止めたというではありませんか。
その心遣いには、恥じ入るばかりで、私も采女殿を巻き込むわけにはいきません。
これはもう、こういう運命であるに違いないので、もう考えるまでもありません。
戦場に采女殿を差し置いて先駆けすることになってしまいますが、私と采女殿は一心同体なので、先駆けという事にはならないでしょう」
と、頼母は、三好采女には知らせずに、一人で式部を討ちに行くと決めたのでした。
時は四月十七日の夜だったのですが、ちょうどその夜は唐橋侍従のお屋敷に、ご一家の方々がいらっしゃって、しめやかにお話などをなさっていました。
夜も深く更けたので、そこらの宿直の人々も睡魔に侵されて、あちらこちらで皆、だらしなく臥していました。
「うむ、やはり今夜こそ絶好の機会」
と、頼母が独り言をして、急いで式部の部屋に向かう様子は、言葉で言い表せないくらいうっとりします。
雪が嫉妬《しっと》するほど美しい薄衣《うすごろも》を、襟《えり》を合わせて颯爽《さっそう》と着こなし、いつもよりお香を強く匂わせて、錦の袴《はかま》を踏みしめ、太刀を体に引き寄せて、ひっそりと式部の部屋に向かうのでした。
さすがに隠しようもない強いお香の匂いに、目が覚めて驚く人々もいましたが、今から討たれようとしている式部は、こういうことになってるとは、夢にも思っていないのでした。
式部は、散った桜の花と紅葉に、霧がかかった様子を描いた屏風の陰で、手に持った扇の絵を下を向いて見ていました。
そこに頼母は飛びかかり、「おお!」と力を入れて踏み込んで、声をかけて打つと、式部の右の肩先から乳の下まで斬り付けました。
式部もさすが日頃の言動に偽りはなく、左の手で腰の刀を抜くと、すぐに頼母の刀を打ち払い、しばらくの間は激しく争い、あちらこちらで身をかわしては刀を合わせ、続けざまに打ち付けるのでした。
しかし、最初の傷が大きかったので、式部は力尽きて足元もフラフラになり、
「悔しくも出し抜かれた。。。」
と言いながら、式部が倒れかかるのを、頼母は引っ張って押し伏せ、胸元を二回、刀で刺し通しました。
そして、真っ赤に染まった太刀を杖に突き、
「あの、おしゃべりクソ坊主の露斎めを、このまま生かしておくのは悔しすぎる。
クソ坊主も刀でバッサリと」
と、露斎も討とうとしました。
しかし、手間どっているうちに、側で控えていた宿直の人々が、刀で争う物音に気づいて目を覚まし、
「うわあ、大殿(侍従)の身に何かが起こったのでは!」
と入り口に居た人々は奥の方に乱れ入り、奥の方に居た人々は入り口の方に向かいました。
このように大慌ての中、多くのロウソクや灯火が、手足に引っかかって蹴散らかされて消え、暗闇になってしまい、ますます混乱することになりました。
建久(鎌倉時代)の昔、頼朝公の富士野での巻狩《まきがり》の夜に起こった、曽我兄弟の敵討ちの騒ぎもこんな感じだったのでしょう。


馬淵八郎《まぶちはちろう》が急いで灯火を持ってやってきて、まず頼母に取り付いて抱き止めました。
いやあ、もう、その夜の大慌ての様子は、言うまでもなく、書くまでもありません。
やがて、侍従は座敷をお立ちになり、ほかの客人も連れて様子をご覧になると、事件現場となった部屋は、ただただ真っ赤に染まっていて、流れる血は龍田川の夕日を目の当たりにしているかのようでした。
しばらくして、侍従は声を荒らげて、
「TPOというものを弁《わきま》えない上に、どんな恨みがあったか知らないが、このようなお上《かみ》を蔑《ないがし》ろにする行為をするのは、さっぱり訳が分からない」
とだけおっしゃって、屋敷の奥深くにお入りになりました。
そして、すぐに茨主殿司《いばらとのもつかさ》に、事情聴取をさせました。
頼母は膝を折って手を付き、
「この件に関しては、ああだこうだと申し上げるべきではないのですが、わざわざお尋ねくださるのを拒否するわけにはいきませんので。
近頃、式部に色々とふざけたことを言い聞かされましたが、全く返事もしないでそのまま過ごしていました。
すると、式部は「憎たらしい、情け知らずめ!」と言って、私をだまし討って他国に逃げようという計画を立て、実行しようとしました。
私は「もはや逃れられない」と、ただ一筋に思い切って、このような行為に及んでしまいました。
御前近くであるにもかかわらず、とても申し訳なく存じます。
実に幼いころから大殿のお側《そば》近くで召し使われ、ありがたくも情けを掛けていただき、一人前にしていただきました。
戦場で大殿のお馬の前で戦って、命を落とすべきなのに、前世の行いが悪かったのでしょうか、このような事になってしまい、とても不本意なことでございます。
やはり、これ以上のお情けをいただくわけにはいかないので、早く処分を仰せつけくださるよう、大殿にお伝えいただきたく存じます」
と頼母は言いました。
主殿司は聞いて、
「ところで、式部殿に仲立ちはいませんでしたか。
すべておっしゃって、心残りにされませんよう」
と尋ねると、頼母は、
「そのことでございますが、式部は最近召し出されたばかりの若衆ではありませんか。
なので、家中の者とは皆、顔も見てあいさつする程度の関係しかなかったようなので、仲立ちを頼むような人はいなかったのでは」
と、「今すぐに刀でバッサリ斬ってやる!」と激オコだったにもかかわらず、露斎が仲立ちをしたことを隠したのは、頼母の心の内が情け深く優しいからなのでしょう。
すぐに主殿司は侍従の元に赴《おもむ》き、頼母の証言内容をすべて報告しました。
「武士道をしっかり貫いており、決して浅はかな行動ではない。
ひとまず、主殿司にお預け致す」
と頼母の処分の保留を仰せ付けられました。
すぐに主殿司は頼母を連れて屋敷の一間をあてがい、その夜は色々とねぎらったのでした。
さて、討たれた式部の父にあたる人は、侍従の兄弟に大切に召し使われている、後藤監物《ごとうけんもつ》という気骨ある武士でした。
式部の父は、事のあらましを聞いて、涙を浮かべて顔色を変え、
「唐橋様が、いくら時の権力者で、天下に威勢をふるっておられるからといって、我が子を討った者を助けて、生きながらえさせるというのは、ありえない事だ。
先祖が何度も高名を得るために、二つとない命を投げ捨てて戦ったのも、ただただ子孫の繁栄が見たかったからなのに、その願いが絶たれたからには、今はもう生きている意味はない。
我が子が討たれた所に駆け込んで、腹を切るしかあるまい」
と怒りの眼の中に涙を浮かべて席を立ったのでした。
一方、侍従の母君は、日頃から式部の母をかわいがられており、いつも寄り合いにも呼んでいました。
式部の母は、裸足で駆け回り、
「我が子を討った相手が助かることなどあってなるものか。
堀川へ身を投げて死のう」
と嘆き悲しみました。
このことを侍従の母君はとても哀れにお思いになり、治部卿《じぶきょう》の御局《おつぼね》を使者として、侍従の後見人の浦上図書《うらがみずしょ》にお伝えになりました。
図書は急いで馬に鞭を打って侍従の所に参上しました。
「ただ今、カクカクシカジカな事を伝え聞きました。
どうして、頼母にさっさと腹を切らせにならないのですか。
頼母は武士道を貫いたと、すっかり納得されたそうですが、これはあまりにも一方的な言い分です。
頼母をしっかりお守りになったとしたら、式部の父や兄弟たちがこのまま諦めるはずもないでしょう。
唐橋殿が時の権力者でおられる一方で、このような不公平なことをされては、身分が高い者も低い者も顔をしかめるでしょう。
更に、御一家の方々も、このような処遇があってはならないとお思いになるでしょう。
そもそも、周の穆王《ぼくおう》は、御寵愛《ごちょうあい》の慈童《じどう》が、王の枕を跨《また》ぐという失態を犯した時でさえ、臣下たちが訴え出たので、そのまま無視することはなさらず、童を守りたい気持ちを抑えて、涙をお流しになりがら、国の掟に従い、童を遠い地に流刑《るけい》にされました。
ましてや、この頼母は唐橋殿の御側近くで人を殺めるという、お上をバカにした行為をしたので、全く詮議《せんぎ》する必要も無い罪人でしょう」
と、自分の国の事は差し置いて、彭祖仙人《ほうそせんにん》がいたくらい昔の中国の事例を出してまで、浦上図書は色々と忠告しました。
これ以上は侍従のお力ではどうすることもできず、
「それならば、夜が明けてから、頼母に腹を切らせよ」
と仰せつけになりました。
こうして式部の父も怒りを収めて、夜が明けるのを今や遅しと待つのでした。
さて、頼母と羽を交えるような深い契りをした采女は、事件の日の昼頃、「神流川《かんながわ》(群馬県)から母がやって来ますので」と休暇を申請し、品川の辺りにいました。
ああ、神ではない身のはかなさよ、こんな事件が起こっているとは露知らず、采女は海の辺りを散歩していました。
多くの漁師が漁をしている様子を、「とても面白い」と目を奪われて眺めているうちに、日も暮れて夜になりました。


海辺に大きな音で次々と寄せている波が、自分の方まで寄せてくる心地がして、光源氏が詫び住まいをした須磨の浦の昔を思い起こします。
あちらの貧しい家々では、謡いながら米を搗《つ》く音が聞こえ、いかにも山の中の家らしくて、これもまた風情があります。
こちらの寺々では、鐘を打ち鳴らして読経をする声が聞こえて耳に残り、これはまたとてもありがたいものです。
ようやく十八夜の月も西に傾いて、旅立つ人が数えきれないくらい現れます。
馬もゆっくりと足を踏み鳴らし、行き違う馬の上からはとても眠たそうな声で、
「早くしろ、まだ夜が明ける前に」
などと言う客の声が聞こえ、馬方は訛《なま》った声の調子で、
「お客様、身構えてお眠りにならないでくだされ。
そりゃ、橋じゃ、そこの河原を越えていきますぞ」
などと言いながら、ゆっくりと馬を追いかけて「春がやってきなさった」などと、なまめかしい声で謡います。
「ああ、これらの光景を、頼母殿と一緒に見ることができたなら、一層すばらしい眺めでしょうなあ。
『一日三秋《いちじつさんしゅう》(一日会わなかっただけで、三年も過ぎ去った気がする)』と言い置きしてきましたが、まさに体感しております」
などと思って采女はまどろんでいると、頼母の身の上に起こったことが、思いがけず幻影として見えてきて、汗まみれになって夢から覚めました。
「夢幻泡影《むげんほうよう》(人生は、はかない)と、世間ではやたらと言われていますが、若い人々の交わりは、身分が高い者も低い者も皆、深い淵に向かって薄氷を踏むように、たいそう危うく冷酷なことばかりです。
ちょっとした言葉の行き違いなどでトラブルにでもなり、このように私が頼母殿を思いながら寝ている夢に出てきたのでしょうか」
と、釆女が不安でどうすればいいか分からなくなっていると、足音高く門を叩いてどこからか手紙が届けられました。
見てみると、元恋人の志賀内蔵之助《しがくらのすけ》からでした。
「昨晩、カクカクシカジカな事があって、式部は何もできずに討たれましたが、頼母殿は全く傷も負いませんでした。
前例のないような見事な活躍だったので、大殿はこの上もなく惜しまれましたが、式部の関係者からの圧力があったのでしょうか、夜が明けてから浅草の慶養寺《けいようじ》で、頼母殿は腹を切ることになりました。
それにしても、釆女殿の心の内を想像しただけでも、袖が涙で濡れます。
朝草の 草葉に縋《すが》る 露の身を 問はば問えかし 消え果てぬ間《ま》に
(浅草の草葉にすがりつく露のようにはかない頼母殿の身が、消え果ててしまう前に言葉を掛けることができればいいのですが)」
などクドクドと書いて送ってきました。
これを読んだ時の采女の心境は、少し考えただけでも気の毒で。
今は頼母のことを思うだけで心が締め付けられ、とても辛い気持ちになりましたが、なんとかぼんやりしながらも、釆女は硯を引き寄せました。
「まことにいち早くお知らせくださり、ありがたく存じます。
会者定離《えしゃじょうり》(会う者は必ず分かれる)、生者必滅《しょうじゃひつめつ》(生きている者は必ず亡くなる)と世間では昔からずっと言われているように、長きにわたって栄華を保つことは誰もできません。
惜しまれるときに散るからこそ、花も紅葉も称賛されるのです。
追悼の返歌でもと思いましたが、気持ちが落ち着いてから、内蔵之助殿に直接会って申し上げます」
などと書いて手紙を結び、使いに渡して帰しました。
『男色義理物語』巻の三終わり
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うわあ、だまし打ちされた~
ヾ(๑╹◡╹)ノ"
蚊に刺されたくらいで大げさな
ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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