【前回のあらすじ】 内蔵之助は周囲の死ね死ね圧力に耐えきれなくなり、逃亡しようとしますが、あっさり捕まって処刑されてしまいました。
【初めての方へ】 原典の画像だけでなく、スクロールすると、ちゃんと活字の原文(可能な限り漢字に直し、送り仮名と振り仮名を補足しています)と現代語訳と解説がありますよヾ(๑╹◡╹)ノ"
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霞亭文庫 · 男色義理物語 · 東京大学学術資産等アーカイブズ共用サーバ
男色義理物語 : 4巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
※赤字の書入れ等は筆者。
【原文】【現代語訳】
「誰も千歳《ちとせ》の松ならぬ卋に、斯く迄命惜しみて名を汚《けが》しけるよ」
「松のように千年も生きれる人はこの世に誰もいないのに、ここまで命を惜しんで名を汚すとは」
と亡き跡迄、憎み罵《のゝし》らぬ人は無かりけり。
と、亡くなった後まで、内蔵之助を憎んで罵《ののし》らない人はいませんでした。
彼の露斎法師が仲立ちせし事、誰やの者《もの》か其の夜、御耳に立てけん、是も高手小手《たかてこて》に戒《いまし》められて、同じく頭《かうべ》を刎《は》ねられしとなん。
例の露斎法師が式部の仲立ちをしたことも、何者かがその夜に大殿のお耳にいれたのでしょう、露斎も高手小手《たかてこて》に縛られて捕まり、内蔵之助と同じように首をはねられました。
然《さ》れバ、仮初《かりそめ》の事なりしに、七日の内《うち》に五人迄朝草の露と消へ失せぬ。
そういうわけで、はかないことに、七日のうちに五人までもが浅草の露となって消えたのでした。
思わざる義《ぎ》なりし事共也。
思いもよらない出来事です。
其の後、刑部《ぎやうぶ》情け深き者《もの》にて、形見と文取り揃へ、五月初めに遥/゛\と都《ミやこ》堀川迄遣わしける。
その後、刑部左衛門は情け深い者だったので、頼母の形見と文を取り揃えて、五月初めに、はるばると都堀川の頼母の母の元まで送り届けました。
母の嘆き悲しむ涙の雨、堀川の水嵩《みずかさ》増さりなんかし。
頼母の母が嘆き悲しんで流した涙の雨で、堀川の水かさが増える勢いでした。
「空《むな》しき骸《から》をだに見れバ、今は亡き人と頓《ひたぶる》に思ひ慰む由《よし》も有りなんも、の空〈どの空〉に彷徨《さまよ》ひし」
「せめて遺体だけでも見る事が出来たのなら、今はもう亡くなったのだと確認できて、すっかり気も晴れようものですが、あの子の魂はどの空にさまよっているのやら」
等《など》臥し沈み、暗《く》れ惑《まど》ひ侍りしが、後、鴨川《かもがは》の深き瀬に身を沈めける共言ふ、何方《いづち》行《ゆ》き方《かた》を知らず。
[『雨夜物語』では、「其の後に勘解由司情け深き者なれば、右京が母の元へ形見の文取り持たせて、遥/゛\遣わしける節《ふし》多けれど、今日はむさ/\と心も悪しう、氣も結ぼおれて、煩《うる》さければ書かず」と、以降のエピソードは書かれず、途中で唐突に話が終わってしまう]
などと思い嘆いて悲しみに暮れていましたが、その後、堀川の深い流れに身を沈めたとも言われ、行方知れずになってしまいました。
斯《か》ゝる事お〈を〉しも、采女が母伝へ聞きて、今更改まりたる心地して、遣る方も無く、悲しさも弥増《いやま》さりて行《ゆ》く程に、病に臥し、其の年の中の秋[『藻屑』では「中の秋二十四日の曙」]、朝草〈秋草〉の露と消へ畢《おわ》んぬ。
事の経緯を采女の母も伝え聞き、急に心が沈んで、どうしようもなくなり、悲しさもどんどん増して行くうちに、病の床に伏せり、その年の八月に秋草の露のように亡くなってしまいました。
いと本意《ほんい》無く、哀《あハ》れなりし事共なり。
とても残念な、哀れな出来事でした。
斯《か》ゝる事を見聞くにつけても、此の道に携《たづさ》わりて、懸想立ち給わん若き人々ハ、偏《ひとへ》に虎《とら》の尾を踏み、毒虵《どくじや》の口に向かふが如し。
このような事を見聞くにつけても、衆道(男色)にハマり、色めきなさる若い人たちは、虎の尾を踏み、毒蛇の口に向かうような危険なことだということを、忘れないでください。
慎《つゝし》むばし、恐るべし。
慎んでください、恐れてください。
然《しか》んは有れども、女に戯《たわぶ》れて身を無きに為《な》さざらんハ〈為さんハ〉、中/\拙《つたな》きとも言われざらまし[「言われなまし」の誤りか]。
かと言っても、女におぼれて身を滅ぼしたならば、かえって『おろかである』とも言われるでしょう。
只、童《わらハべ》の中立《なかだ》ちにハ、縦《よし》/\如《し》かじ。
やはり、童の仲立ちには、どうやっても勝てません
[「童の仲立ち」が何を意味するか不明確だが、「なんだかんだ言っても、やはり女にハマるより、危険を冒してでも若衆と交わるほうが良いにきまってる」ということだろうか]
と、此の道の博士《はかせ》の好き物語り侍りしと〈侍りしを〉、愚かなる言葉に任せ、綴《つゞ》り侍るにこそ。
以上、衆道の博士が好きに物語ったことを、つたない文章にまかせて、書き連ねました。
「有りし世の 果敢無《はかな》き夢の 戯《たわぶ》れを 語るも由無《よしな》 現無《うつゝな》の身や」
「過ぎ去った昔の、むなしい夢のような交遊を、語ったところでつまらない、ぼんやりとした身です」
元禄十二年 巳卯《つちのとう》 正月吉日
利倉屋 小太郎板
男色義理物語 巻之四終
元禄十二年 巳卯《つちのとう》 正月吉日 利倉屋小太郎板
『男色義理物語』巻の四、終わり
※『男色義理物語』は、誤字がとても多いので、明らかな誤字は〈〉で修正してます。
【解説】 頼母、采女、内蔵之助、式部、露斎の五人に加え、頼母と采女の母まで亡くなってしまうと言う悲しい結末でした。
最後に、内蔵之助は処刑されるほどの罪だったのかという事に関して、解説しておこうと思います、というかこれも書く機会を逃してました。
そもそもの前提として、頼母は侍従の寵童でした。
侍従お気に入りの若衆に手を出したのがバレたら、もちろん処刑です。
なので、釆女が頼母と関係を持った時点で、釆女も頼母も仲立ちした内蔵之助も処刑の対象だったわけです。
まさしく命がけの恋です。
もちろん、頼母に交際を迫った主膳と仲立ちした露斎も処刑の対象です。
ただ、釆女のように自ら命を絶つと名誉で、内蔵之助のように処刑されると不名誉になるわけです。
侍従は内蔵之助の件を知っても最初は何もしなかったのは、武士としての名誉を保つために、自ら命を絶つことを願ったからなのでしょう。
しかし、内蔵之助は命を惜しんで逃亡しようとしたので、問答無用で処刑されたわけです。
頼母の場合は主膳を斬った罪に問われたわけですが、処刑ではなく、切腹を言い渡されたのは、 頼母の武士としての名誉を保つための、侍従のせめてもの思いやりだったわけです。
そもそも、男色自体を禁じている藩が多かったみたいです。
なんでかって?
このような事件が頻発したからですよ!
さて、そんな唐橋侍従こと堀田正盛ですが、史実では、かつて将軍家光の小姓として寵愛を受けていました。
正盛が独り立ちしてからも、家光との関係が親密だったのは、家光が正盛邸を訪問する描写からも分かります[『男色義理物語』では侍従の子の誕生祝いに書き換えられている]。
そして、家光が亡くなると、正盛は「お供をする」と言って切腹し、殉死したのでした。
結局、最後は、侍従自身も究極の愛を貫いたというわけです。
というわけで、『男色義理物語』の主要人物は全て、普通の亡くなり方はしなかったという。。。
今回で『男色義理物語』のお話は終わりですが、この後、巻四の一気読みや、補足解説をまだ書く予定です。
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僕の身も浅草の露のようにはかないよヾ(๑╹◡╹)ノ"![]()
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