『男色義理物語』巻三の一気読みでございます。
巻一~巻三の一気読みはこちら。
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読みやすいように、省略したり意訳したりしていますので、ちゃんと読解したい方は、個別のページをごらんくださいませ。
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【初めての方へ】
原典の画像だけでなく、スクロールすると、ちゃんと活字の原文(可能な限り漢字に直し、送り仮名と振り仮名を補足しています)と現代語訳と解説がありますよヾ(๑╹◡╹)ノ"
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諸事情により、PC版と同じデザインになっています。なるべくスマホでも読みやすいようにはしているのですが、もし、字が小さいと感じた場合は、スマホを横にして拡大すると読みやすいと思います。
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霞亭文庫 · 男色義理物語 · 東京大学学術資産等アーカイブズ共用サーバ
男色義理物語 : 4巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
※赤字の書入れ等は筆者。
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『男色義理物語』巻四「命に思いを寄せる恋」
その後、三好釆女は何事も無かったかのように母に対面し、
「明日早く、大殿(唐橋侍従)がご病気の療養のため、有馬へ湯治に行かれることになったので、私たちもお供するようお達しがありました。
ですので、またしばらくは母上にお会いすることができなくなりましたので、門出の盃をいただきたく存じます」
と言って、母の盃をいただき、三回で飲み干しました。
それから母は盃を下げて、
「しっかり気を配って、道中、馬を大切になさってください。
馬の上で居眠りをして落ちて、ケガなどなさらないように。
また、旅においてはいつもよりリラックスして、お供に励んでください。
それから、従者にも優しく情け深い言葉をかけて、殿のお供をなさりますよう。
昔から、『恩に報いるための死は無いが、義理人情に動かされる死はある』と言います。
激しく乱暴な言葉が飛び交う所には、どんな鬼神も留まらないでしょう。
鴨は水に住む生き物ですが、激しく水が早く流れる川には住まないで、水が流れずよどんでいる所に浮いています。
人間もまた、同じです。
ですので、『万葉集』にも、
『吉野の菜摘の川(吉野川)の山蔭の、水がよどんでいる所で、鴨が鳴いていますなあ』
と詠まれています。
これは全て、世の中では普通に言われていることなのですが、子を思う親の心というものは、愛情があふれ出てしまうくらい深いものなので、しつこいようですが、良かれと思ってこのように申すのです」
と采女の母は言いました。
母のむなしい忠告の言葉を聞き、決心していたとはいえ、さすがに自然と流れる涙を、采女は止めることができませんでした。
釆女は涙を押さえる袖を掲げて、
「全てのお言葉を承りました」
と言って立ち上がりました。
母も門の辺りまでよろよろ出てきて見送り、
「では、しっかりお供をやり遂げて、帰って来てくださいね」
と言いました。
ああ、神ではない身の悲しさよ、これが最後の門出になるとは、あとになって知ることになるのです。
釆女は門を出るとすぐに馬に乗って、急いで慶養寺に向かいました。
早くもだんだん夜も明けてきました。


釆女が慶養寺の山門廻廊の側にたたずんで聞いていると、そこらの僧たちが集まってきて、
「今、ここに美しい顔の若衆が来て腹を切るそうな。
ブサイクな子でさえも、人の親は気に掛けるものなのに、ましてやハンパなく美しい子であるので、さぞかしご両親はお嘆きな事でしょうな。
ああ、悲しい事です」
と、それぞれ話題にしていました。
こんな話を聞くと、采女は思い切りションボリしてしまい、ひどくむせび泣いてしまうのでした。
しかし、好奇心旺盛な江戸の人々が、噂を伝え聞いて、見物に集まってきたので、人目が気になり、
「もし、私の姿を知り合いに見付けられたら、思いが遂げられず残念なことになるだろう」
と端っこに移動してこっそりと、ぼんやりしながら待ちました。
その采女の心中は、想像もつかないので、いっそう心配になります。
だんだん深見頼母の死の時が近づいてきました。
山門へ頼母を乗せた輿が到着すると同時に、頼母は悠然と降りてきました。
その様子はまたとなく華やかです。
頼母は、白い小袖に、朝顔を色々な糸で織り込んだ、世にも艶やかな唐綾の薄物を、清らかに着こなし、緋の織物の袴で一歩一歩地面を踏みしめながら、落ち着いた様子でまわりを見渡しました。
頼母は、
「多くの卒塔婆が立っていますが、その一つ一つにその家族ごとの悲しみがあるのでしょうね」
という歌を今、ふと思い出して、
「ああ、はかない世の中のことを詠むなら、今ここで詠むべきでしょう」
と思いました。
寺の左の方に、咲き遅れたのでしょうか、山桜が少し咲き残っているのを見て、
「たとえ、去年の花が梢に残って、翌春になるのを待って散ると言っても、そんな約束はあてにならないのが、人の心というものです(生き残った采女殿は、どうせ来年には死んだ私の事など忘れてしまってるんでしょうね)」
と頼母が歌を詠んだのは、釆女という人に対する、愛情の裏返しの恨み言でしょう。
さて、頼母は、錦の縁の畳の上で、誇らしげに姿勢を正し、介錯に来た二階堂刑部左衛門を招き寄せ、鬢の髪を押し切って、畳紙に包み、
「これを都堀川の母の所へ、最期の形見として、便りに付けてお届けください」
と差し置きました。
そこに、とても位が高く立派な感じの和尚が、紫の衣を着て、水晶の数珠を爪繰りながら、頼母の近くに寄り、
「さて、この世に思い残すことはないですかな。
心の中が晴れないまま、あの世に行くのは罪深い事です」
などと聞くと、頼母は、
「この期に及んで、どうして思い残す事などあるでしょうか。
『容姿が変わることなく、年を重ねることができれば良いのに』と、ずっと思っていましたが、今日限りの命となって、これ以上容姿が変わることがなくなり、正しく思い描いた通りになって喜ばしいことです。
生きている者は必ず亡くなるという道理も、前から悟っていました。
長く世に生き続けることなど誰もできません。
美人でも老いることは避けられませんが、容姿がまだ初々しいまま、目的を遂げて、自ら命を絶つことができるとは、これこそ即身成仏(現世の姿のまま仏になること)と言えるのではないでしょうか」
と答えました。
頼母は、左の袂から紫の色が鮮やかな短冊を取り出して、筆に墨を付け、辞世の句を書きました。
「春は花見、秋は紅葉狩りと遊び興じて、歌を詠んだ事も、今となっては夢のようです」
和尚は涙を流し、
「さてもさても潔く悟った人ですな。
即身成仏は疑いないでしょう。
三界唯一心、心外無別法(三界[欲界・色界・無色界]はただ一つの心が生み出したもので、心とは別に存在する物ではない)。
何の疑いがあるでしょうか。
まだ必要な経典はご覧になってはいませんが、お言葉に心を打たれたので、居士を授けましょう。
『花童院見雪両空居士』と戒名を授けます」
と言いました。
頼母は頭を下げて、
「死後の名声を頂き、ありがたく存じます」
とお礼をし、最後の太刀を腹に突き立てようとしました。
その時です、白く艶やかな小袖を着て、釆女が寺の端っこから飛び出し、頼母の太刀に取り付きました
「それにしても、なんとまあ、たわいもない先ほどの『去年の花』の恨み言ですこと。
木の先っぽの露でも、根元の雫でも必ず消えるように、順番や長さに違いはあるものの、早かれ遅かれ、必ず人は亡くなるのは、世の定めなのですが、頼母殿を先に逝かせて、私一人がこの世に残ったとしても、この先どうやってこのまま人間の世界で暮らしていけば良いというのでしょう。
若木の桜(頼母)が春が来る前に散ってしまうことになったのも、ただただ私がバカげたことをしてしまったことが原因です。
前から言っていたように、後の世でも頼母殿と連れ立つことが本望なので、同じ枝で羽を並べようではありませんか。
まずは、死出の山や三途の川がどのような感じか下見に行って、待つことにします」
と言い切らぬうちに、左の脇に刀を突き立てようとしたので、刑部左衛門を始め、和尚、頼母、誰や彼や急いで駆けつけて止めました。
「これは一体どういうことです。
采女殿が頼母殿の後を追って亡くなられたら、残されたご両親たちに、大殿の怒りがお向きになるかもしれません。
采女殿の勝手な気持ちで、目の前にいるこの人々にも、嫌な思いをさせる事になりますぞ」
と刑部左衛門は言い、何とか采女から刀を奪おうとしました。
すると采女は、思いのほか顔色を変え、刑部左衛門をハタと睨み、声を荒げて、
「ここで思いとどまるなど、いかにも気遅れした人のする行為ですな。
そもそも名誉を第一とする、武士の家に生まれた者が、この期に及んで考えを変えることなどあるでしょうか。
まして、このように、老人、若者、男、女、身分の高い方、身分の低い者など、様々な人たちが多く集まっている目の前で、腹を切ろうとしているのを、今更、止めても止まるものでもないでしょう。
もし、思いとどまることがあったとしても、このことはすぐに大殿の耳に入り、そうなったら、大殿はたいそうご立腹されて私を処刑し、私は不本意な死を遂げることになるでしょう。
死んでからも恥をかくことになり、子孫も恥をかくことになるでしょう。
『竜門原上の土に骨を埋むとも名を埋めず』と言うように、死後も名声を残すことが理想だという事を、ご存知ないわけがありますまい」
と、怒りの眼を見開いて訴えました。
刑部左衛門は、
「こうなったからには、とやかく言うこともないでしょう。
ここまで思い立った采女殿を無慈悲に止め、あとで不本意な死を遂げることになられたら、きっと采女殿の親兄弟の恨みも買うでしょう。
また、誰もが口々に、
『こんなに情け容赦なく止める必要はなかったのに、釆女の後追いを止めたのは、刑部が自分の身に罪が及ぶのを恐れたからだろう』
と、罵るだろうと思うと、悔しくて仕方ありません。
『采女の後追いを止めることができなかった』
と処罰を受けて、私のような老いぼれの首が刎ねられたとしても、私はもう何も惜しむこともない年齢です。
まだ谷の入り口から出てきたばかりで、うまく鳴くこともできない若いウグイスのような人々(頼母と采女)でさえ、義理を重んじて気持ちを変えず、二つとない命を失うと言うのに、なおさら、若いウグイスに出会えて、花を咲かせていた昔の春に戻った気分になった老木の桜(刑部左衛門)も、あとで、どんな処罰を受けようが構いません。
兎にも角にも、どうして情け容赦なく後追いを止めることができましょうか。
今は心静かに思いを遂げて下さい」
と刑部左衛門は涙を浮かべて立ち退きました。
頼母は采女に寄り添い、
「それにしても、これまで数えきれないほど多くのお心使いをしていただきました。
前から言っていたように、後の世でも必ず同じ蓮の台に座りましょう、半分空けて待っています。
早く追い付いてください、時間はすぐに経ってしまいますから」
と言って、着物を緩めて肌を出し、左の脇に刀を突き当てました。
すると、釆女は頼母の言葉を聞き終わらないうちに、
「私こそ先に行って、三途の川の深さを確かめて待ちましょう」
と言って、同じく左の脇に刀を突き立てて、辞世の句を詠みました。
「さあ、私も一緒に急いで死出の山と三途の川を越えましょう」
頼母と采女は刀を右の方に引き回し、それからお互いに刀を刺し合って息絶えました。
「男が一日情けをかけたばかりに、女は一生不遇の身となった」(頼母が少しの情けをかけたばかりに、釆女は命を落とすことになった)という故事は、こういうことを言うのでしょうか。
二人の死は嘆き悲しむべきものです。


頼母十六歳、采女十八歳で一生を終え、どこから吹いてきた嵐が誘ったのでしょうか、まだ香りを放ちきらないうちに散ってしまった花(頼母と采女)は、浅草の草葉の露のとなって消え失せてしまいました。
頼母の従者である子供たちは、伊勢の海人が舟を流してしまったような心地がして、どうしようもなく悲しかったので、全員、慶養寺でマゲを切って、主人の頼母の冥福を祈りました。
そういうわけで、浅草の慶養寺では、二人の墓を作り、辞世の句を書いた短冊などを位牌の表に貼り付けて、頼母と采女の名を江戸の空に高く轟かせるのでした。
さて、志賀内蔵之助は、二人の仲立ちであっただけでなく、采女と深く契った仲であったので、追い付いて腹を切るべきなのに、なかなかその様子を見せませんでした。
そればかりか、「花よ、紅葉よ」と遊興していたので、若い人々はたいそう憎み罵って、そのうち遠慮なく、
「どうしてさっさと決意されないのですが、とっとと死ね!」
と、顔をしかめてバカにしましたが、命は惜しいもので、内蔵之助は追い腹を切るつもりはありませんでした。
さて、今日は頼母と采女の初七日にあたります。
「実におぼろげで無常の世の中と言いますが、これはなんだか短い夢が今、現実と分かったようで」
と言って、皆、涙を流し、慶養寺で華やかに法要を行い、故人を弔いました。
墓前では、短歌を「我先に」と詠んで捧げました。
内蔵之助は、人よりも先に、
「仲睦まじくなった人(采女)を先立たせてしまい、闇の道に迷ったような心境になった私の身は、どうすればよいのでしょうか」
と詠みました。
すると、その歌の横に、返歌だと思われる歌が、誰かによって詠まれました。
「その身をどうすればよいのか考える暇があるなら、さっさと腹を切れば良いではないか。
この世にずっと留まっている者などいないのだから」
などと、皆、あからさまに内蔵之助をバカにしました。
この事は、なんとなく大殿の耳にも入ったようなのですが、どう思われたのでしょうか、いつもと変わらず内蔵之助を召し使われました。
内蔵之助は、いかにも面の皮が厚く生まれ付いたのですが、さすがに耐えることができなくなり、
「このように人々に悪い噂を広められてしまったら、そのうち大殿の耳にもお入りになるだろう。
そうなったならば、処罰を受けて、すぐに命を失うことになるだろう。
事がこれ以上大きくならないうちに、他国にこっそり逃げて、身の安全を確保しよう」
と思い、その夜、人が寝静まった頃、屋敷を抜け出そうと、書院の忍び返しが置かれた窓を無理やり外した所、バタバタと音を立ててしました。
すると、「蚊のマツゲが落ちる音さえ聞き逃すまい」と警備している宿直の家来たちが気づいて集まり、あっという間に内蔵之助の身柄は確保されました。
それから大殿に報告が行くと、大殿はあれこれおっしゃいもせず、「さっさと処せよ」と仰せになったので、家来は「かしこまりました」と言って、若い者たちが内蔵之助を押し伏せて縄を掛け、その夜の内に内蔵之助は浅草で斬られました。
「松のように千年も生きられる人は、この世に誰もいないのに、ここまで命を惜しんで名を汚すとは」
と、亡くなった後まで、誰もが内蔵之助を憎んで罵りました。
渋川露斎法師が式部の仲立ちをしたことも、何者かがその夜に大殿の耳に入れたのでしょう、露斎も捕まって縛られ、内蔵之助と同じように首をはねられました。
そういうわけで、はかないことに、七日のうちに五人までもが浅草の露となって消えたのでした。
思いもよらない出来事です。
その後、刑部左衛門は情け深い者だったので、頼母の形見と文を取り揃えて、五月初めに、はるばると都堀川の頼母の母の元まで送り届けました。
頼母の母が嘆き悲しんで流した涙の雨で、堀川の水かさは増えんばかりでした。
「せめて遺体だけでも見る事が出来たのなら、今はもう亡くなったのだと確認できて、すっかり気も晴れようものですが、あの子の魂は今はどの空にさまよっているのやら」
などと思い嘆いて悲しみに暮れていましたが、その後、堀川の深い流れに身を沈めたとも言われ、行方知れずになってしまいました。
事の経緯を采女の母も伝え聞き、急に心が沈んで、どうしようもなくなり、悲しさもどんどん増して行くうちに、病の床に伏せり、その年の八月に秋草の露のように亡くなってしまいました。
とても残念な、哀れな出来事でした。
このような事を見聞くにつけても、衆道(男色)にハマり、色めく若い人たちは、虎の尾を踏み、毒蛇の口に向かうような危険なことだということを、忘れないでください。
慎んでください、恐れてください。
かと言って、女におぼれて身を滅ぼしたら、『愚かだ』と言われるでしょう。
やはり、女にハマるより、危険を冒してでも若衆と交わるほうが良いものです。
以上、衆道の博士が好き勝手に物語ったことを、つたない文章にまかせて、書き連ねました。
「過ぎ去った昔の、むなしい夢のような交遊を、語ったところでつまらない、ぼんやりとした身です」
元禄十二年 巳卯 正月吉日 利倉屋小太郎板
『男色義理物語』巻の四、終わり
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僕も義理に生きるぞ
ヾ(๑╹◡╹)ノ"
え? もう常にギリギリで生きてるじゃないか
ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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5月3日は北見花芽の誕生日ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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