『方言修行《むだしゅぎょう》 金草鞋《かねのわらじ》』は、『東海道中膝栗毛』でお馴染みの十返舎一九作で、当時は『膝栗毛』と同じくらいの人気があったのに、今では忘れ去られてしまった作品です。
前回で「初編 江戸見物(東都見物)」を読み終えたのですが、以前書いた冒頭部分の訳がどうも気に入らないので、読み直しをしますです。




※この記事では国立国会図書館デジタルコレクションの画像を適宜改変して使用しています。
金草鞋 1編 - 国立国会図書館デジタルコレクション
諸国道中金の草鞋 1 - 国立国会図書館デジタルコレクション
※損傷個所は可能な限り修正しています。
※赤字の書き入れは筆者。
【原文】【現代語訳】
一、東都見物左衛門[単に「見物人」とせず、人の名前のように表記することでユニークさを出している] 三人
シテ男 藍《あい》の紋付《もんつき》の布子《ぬのこ》、柳行李《やなぎごり》を背負ひ、全て旅装束
アド僧 紺の木綿《もめん》八徳《はつとく》、是も旅の装束、出で立ち
案内者 伊勢縞《いせじま》の布子、紺の股引《もゝひき》、出で立ち
[「シテ(仕手)」「アド(迎合)」などという狂言用語を使い、狂言の台本のように書いて面白みを出している]
一、江戸見物人、三人
主役の男 藍染《あいぞ》めの紋付きの布子を着て、柳行李《やなぎごうり》を背負うという、完全に旅の服装
共演の僧 紺の木綿《もめん》の八徳《はっとく》を着て、これも旅の服装
案内者 伊勢縞《いせじま》の布子を着て、紺の股引《ももひき》を履いている服装
馬喰町《ばくろちやう》 弐町目 錦森堂《きんしんだう》上梓《じやうし》
文化《ぶんか》癸酉《みずのととり》孟春《まうしゆん》
十返舎一九《じつぺんしやいつく》志《しる》す
初編、合はせて一冊
馬喰町《ばくろちょう》[現・東京都中央区。馬喰《ばくろう》(「博労」とも。馬の売人)が多く住んでいたことからこの名がついた]二丁目、錦森堂《きんしんどう》の出版
文化十[1813]年一月刊
十返舎一九作
初編、合わせて一冊
▲シテ
罷《まか》り出たる者ハ、ずんと奥の山家《やまが》の者で御座る。
我等《われら》狂哥執心《きやうかしふしん》で御座れば、狂名を鼻毛延高《はなげののびたか》と申して、恐らく田舎でハ我等に続く者は御座るまい。
[登場人物紹介の部分に続いて、狂言本のような書き方になっている]
然《さ》れども、哥人居ながら話国の名所を存ぜぬ程に、この度《たび》思ひ立ち、先《ま》づ大江戸 一見《いつけん》致そふと存じて、罷《まか》り越して御座るが、扨《さて》/\、一人旅と申す物ハ、寂しい物で御座る。
いや、幸ゐの事じや、あれへ行かるゝ僧が御座る。
言葉を掛けて同道致そふと存ずる。
のふ/\、先な人、待たしませ。
▲主役の男(鼻毛延高)
さあ、ここに登場いたしました私は、かなり山奥の家に住む者でございます。
私は狂歌が好きで好きで仕方なく、ペンネームを鼻毛延高《はなげののびたか》と言いまして、おそらくこの田舎では私に続くような狂歌好きはいないと思われます。
[「鼻毛延高」という名前の元になっている言葉は、慣用句の「鼻毛を伸ばす」で、「女に夢中になる」という意味]
[狂歌とは、五・七・五・七・七で形成される、風刺や滑稽味を重視した短歌]
しかしながら、「歌人は居ながらにして名所を知る」[「歌人はどこにも行かなくても、古歌などに詠まれているので、各地の名所を知っている」という意味のことわざ]とは言うものの、実際に行ってみなければ分かるはずがありません。
そこで、このたび思い立って、まずは大江戸を一目《ひとめ》見てみようと、旅立ったのでございますが、それにしても、一人旅と言うものは、寂しいものでございますな。
おや、これ幸いなことに、あそこに私と同じ方向に進む僧がいるではないですか。
声をかけて道連れにいたそうと思います。
これこれ、先を行く人、お待ちくださいませ。
▲アド僧
此方《こなた》の事で御座るか。
▲共演の僧(千久羅坊)
私の事でございますか?
▲シテ
如何《いか》にも其方《そなた》の事じや。
其方ハ何《へ》れから何《ど》れへ行《ゆ》かします。
▲主役の男(鼻毛延高)
いかにも、あなたのことじゃ。
あなたはどこからどこに行かれるのですか?
▲アド
身共《みども》ハ奥の者で御座るが、御江戸見物に罷《まか》り出て御座る。
▲共演の僧(千久羅坊)
私は奥州(東北地方)の者でございますが、お江戸見物に行くところでございます。
▲シテ
是ハ如何な事。
身共も其の通りじや。
同道致そふ。
▲主役の男(鼻毛延高)
これは何と言うことでしょう。
私もあなたと同じくお江戸見物に行くところです。
ご一緒いたしましょう。
▲アド
一段と良ふ御座ろう。
身共、名ハ千久羅坊《ちくらぼう》と申して、狂哥執心の者で御座るが、此の度《たび》、歌修行を思ひ立つて御座る。
▲共演の僧(千久羅坊)
それはとても良い事でございましょう。
私は名を千久羅坊《ちくらぼう》と申しまして、狂歌大好き人間でございますが、このたび、歌修行に出ようと思い立ったのでございます。
[「ちくら」は「ニセ」という意味。つまり、千久羅坊《ちくらぼう》はニセ坊主という事]
▲シテ
扨/\、聞き及ふだ千久羅坊殿か。
身共ゝ其方と同国じゃ。
鼻毛延高と申す者で御座る。
▲主役の男(鼻毛延高)
なんとまあ、以前からお名前はお聞きしておりました、千久羅坊殿でございますか!
私もあなたと同じ国の者です。
鼻毛延高と申す者でございます。
▲アド
是ハ如何な事。
真方も隠れの無い人じや。
扨も良い道連れを求めて御座る。
何と期様《かやう》に申して御座る。
▲共演の僧(千久羅坊)
これは何と言う事!
あなたも有名なお方じゃ!
いやいや、良い道連れを得ることができました。
[二人の国の狂歌の同人誌的なもので、以前から互いの名を目にしていたと思われる]
ここで一首浮かびました。
▲シテ
何と召された。
▲主役の男(鼻毛延高)
ほお、どんな歌が出来ましたか。
▲アド 自語
江戸さあへ 突《つ》ん出来ベいと 世遥《よつぱる》か 思ひ今度が 初めての旅
▲共演の僧(千久羅坊)の自作の狂歌
江戸へ行こうと、ずっと思ってはいましたが、やはりどうしてもいてもたってもいられなくなって、このたび初めての旅に出ることにしました。
▲シテ
是ハ一段と良ふ御座る。
身共ゝ期様に申しました。
▲主役の男(鼻毛延高)
これはとても良い歌でございますな。
私も一首浮かびました。
自語
国さあを やくとう出来て きせち無い 旅もあだけて 氣晴らしぞする
▲主役の男(鼻毛延高)の自作の狂歌
国をわざわざ出て来たものの、一人で何だかみじめな気分でしたが、あなたと出会ったので、この旅はパーッとはしゃいで楽しいものになりそうです。
▲シテ・アド
さあ/\、行《い》かしませ/\。▲主役の男(鼻毛延高)・共演の僧(千久羅坊)
さあ、行きましょう、行きましょう。
【解説】 この作品の主演は鼻毛延高で、共演が千久羅坊だったのですね。
でも、実質はダブル主演で、むしろ千久羅坊の方が前に出ている気もします。
東北狂歌の有名人の二人が、お江戸見物に行く道中で偶然出会い、旅を共にするというのが、この作品の始まりだったわけです。
ここの狂歌の内容は普通ですが、「出来《でき》る(出て来る)」「世遥《よつぱる》か(久しい)」「やくとう(わざわざ)」「きせち無い(情け無い)」「あだける(おどける)」といった東北の方言を多用し、読者には何のことやらよく分からないという笑いになっています。
次回は『金草鞋』初編後編のリンクまとめですが、過去記事もミスが無いかざっと見直してからアップするので、しばしお待ちくださいませ。
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