某朝ドラで小泉八雲を取り上げるというので、便乗しようと思いましたが、千久羅坊と鼻毛延高の観光に付き合っている間に、はい、見事に乗り遅れましたw
小泉八雲の作品は、子どもの頃によく読んでました。
一番好きなのは「果心居士のはなし」なんですが、このお話はまた改めて取り上げるとして、今回は、小泉八雲の作品の中で、私が子どもの頃からずっと気になっていたお話を取り上げたいと思います。
それは「茶碗の中」です。
まあ、どんなお話かは、とりあえず読んでみましょう。
小泉八雲の作品は元は英語で、ここにはもちろん翻訳を載せるのですが、古い翻訳なので、とても読みにくいです。
著作権的に問題のないものを選んだ結果なので、どうかご容赦くださいませ。
茶碗の中
読者はどこか古い塔の階段を上って、真っ黒の中を真っ縦に上って行って、さてその真っ黒の真ん中に、蜘蛛の巣の掛かった所が終わりて、外には何もないことを見出したことがありませんか。
或いは絶壁に沿うて切り開いてある海沿いの道をたどって行って、結局一つ曲がるとすぐごつごつした断崖になっていることを見出したことはありませんか。
こういう経験の感情的価値は、文学上から見れば、その時起こされた感覚の強さと、その感覚の記憶の鮮やかさによって決まる。
ところで、日本の古い話し本に、今言った事と殆んど同じ感情的経験を起こさせる小説の断片が、不思議にも残っている。
多分、作者は無精だったのであろう。
或いは、出版書肆《しゅっぱんしょし》と喧嘩《けんか》したのであろう。
いや、事によれば、作者はその小さな机から不意に呼ばれて、帰って来なかったのであろう。
或いは、又その文章の丁度真ん中で、死の神が筆を止めさせたのであろう。
とにかく、何故この話が結末をつけないで、そのままになっているのか、誰にも分からない。
私は一つ代表的なのを選ぶ。
**********
天和四年一月一日、即ち今から二百二十年前、中川佐渡守《なかがわさどのかみ》が年始の回礼に出かけて、江戸本郷、白山《はくさん》の茶店に、一行とともに立ち寄った。
一同休んでいる間に、家来の一人、関内《せきない》と言う若党が、余りに渇きを覚えたので、自分で大きな茶碗に茶を汲んだ。
飲もうとする時、不意にその透明な黄色の茶の内《うち》に、自分のでない顔の映っているのを認めた。
びっくりして辺りを見回したが、誰もいない。
茶の中に映じた顔は髪格好から見ると、若い侍の顔らしかった。
不思議にはっきりして、中々の好男子で、女の顔のようにやさしかった。
それから、それが生きている人の顔である証拠には、眼や唇は動いていた。
この不思議なものが現れたのに当惑して、関内は茶を捨てて、子細に茶碗を改めて見た。
それは何の模様もない、安物の茶碗であった。
関内は別の茶碗を取って、また茶を汲んだが、また顔が映った。
関内は新しい茶を命じて茶碗に入れると、今度は嘲《あざけ》りの微笑をたたえて、もう一度、不思議な顔が現れた。
しかし、関内は驚かなかった。
「何者だか知らないが、もうそんなものに迷わされはしない」
とつぶやきながら、彼は顔も何も一呑みに茶を飲んで出かけた。
自分ではなんだか幽霊を一つ呑み込んだような気もしないではなかった。
同じ日の夕方遅く、佐渡守の邸内で当番をしている時、その部屋へ見知らぬ人が、音もさせずに入って来たので、関内は驚いた。
この見知らぬ人は、立派な身装の侍であったが、関内の真正面に座って、この若党に軽く一礼をして、言った。
「式部平内《しきぶへいない》でござる。
今日初めてお会い申した。
貴殿は某《それがし》を見覚えならぬようでござるな」
甚だ低いが、鋭い声で言った。
関内は茶碗の中で見て、呑み込んでしまった気味の悪い、美しい顔、例の妖怪を今眼の前に見て驚いた。
あの怪異が微笑した通り、この顔も微笑している。
しかし微笑している唇の上の眼の不動の凝視は挑戦であり、同時に又侮辱でもあった。
「いや見覚え申さぬ」
関内は怒って、しかし冷やかに答えた。
「それにしても、どうしてこの邸へお入りになったかをお聞かせ願いたい」
[封建時代には、諸侯の屋敷は夜昼ともに厳重に守られていた。
それで、警護の武士の方に許すべからざる怠慢でもない以上、無案内で入る事はできなかった]
「ああ、某に見覚えなしと仰せられるのですな」
その客は皮肉な調子で、少し近寄りながら叫んだ。
「いや某を見覚えがないとは聞こえぬ。
今朝、某に非道な害をお加えになったではござらぬか」
関内は帯の短刀を取って、その男の喉を激しく突いた。
しかし、少しも手応えがない。
同時に音もさせず、その闖入者《ちんにゅうしゃ》は壁の方へ横に飛んで、そこを抜けて行った。
壁には退出の何の跡も残さなかつた。
丁度、蝋燭の光が行灯の紙を透けるように、そこを通り過ぎた。
関内がこの事件を報告した時、その話は侍達を驚かし、又当惑させた。
その時刻には邸内では入ったものも、出たものも見られなかつた。
それから佐渡守に仕えているもので「式部平内」の名を聞いているものもなかった。
その翌晩、関内は非番であったので、両親とともに家にいた。
余程遅くなつてから、暫時《ざんじ》の面談を求める来客のある事を、取り次がれた。
刀を取つて玄開に出た。
そこには三人の武装した人々、明らかに侍達が、式台の前に立っていた。
三人は恭《うやうや》しく関内に敬礼してから、そのうちの一人が言った。
「某等は松岡文吾、土橋久蔵、岡村平六と申す式部平内殿の侍でござる。
主人が昨夜御訪問いたした節、貴殿は刀で主人をお打ちになった。
怪我が重いから、傷の養生に湯治に行かねなばならぬ。
しかし、来月十六日にはお帰りになる。
その時には、この恨みを必ず晴らし申す」
それ以上聞くまでもなく、関内は刀を取って飛び出し、客を目がけて前後左右に斬りまくった。
しかし、三人は隣の建物の壁の方へ飛び、影のようにその上へ飛び去って、それから……
**********
ここで古い物語は切れている。
話のあとは何人かの頭の中に存在していたのだが、それは百年このかた塵に帰している。
私は色々それらしい結末を想像することができるが、西洋の読者の想像に満足を与えるようなのは一つもない。
魂を飲んだあとの、もっともらしい結果は、自分で考えて見られるままに任せておく。
ね? めっちゃ尻切れトンボで気になるでしょ。
で、先日、ふと、このお話を思い出したわけですよ。
私はもう大人になりました、気になったままでは終わらせません。
小泉八雲の作品にはほぼ元ネタがあります。
そう、この「茶碗の中」の元ネタになった作品を読めば解決するのです。
元ネタでも尻切れトンボなのか、それとも結末か書かれているのか。
元になった作品は、『新著聞集』5-24「茶店の水碗若年の面を現す」です。
江戸時代の作品ですが、大人になった私は古文も崩し字も読めるようになっています。
さあ、子どもの頃のモヤモヤを今に晴らすのだ!w
次回に続く
---------------------------------
---------------------------------
見て見て、僕が居ない時でも、北見花芽が寂しくないように、茶碗の中に僕の顔をプリントしたよ!ヾ(๑╹◡╹)ノ"![]()

(無言で容赦なくパリン)ヾ(๑╹◡╹)ノ"![]()
---------------------------------
※諸事情により、このアカウントで、はてなブックマークに伺うことができなくなりました。ご了承ください。
---------------------------------
ランキング参加してます、よろしくね♪
---------------------------------
姉妹ブログもよろしくね♪ヾ(๑╹◡╹)ノ"
myougirl.hatenablog.com
kihimikeheme.hatenablog.com
---------------------------------
三つ目のLINEスタンプ、不好評発売中!
store.line.me
---------------------------------
◆北見花芽のほしい物リストです♪
5月3日は北見花芽の誕生日ヾ(๑╹◡╹)ノ"
◆拍手で応援していただけたら嬉しいです♪
(はてなIDをお持ちでない方でも押せますし、コメントもできます)
---------------------------------

---------------------------------




