『義公黄門仁徳録《ぎこうこうもんじんとくろく》』[江戸中後期成立か。呑産通人(呑産道人)作]巻二十七「下総国八幡宮藪を八幡知らずと申す事」
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
新日本古典籍総合データベース
【原文】
然《さ》れバ、予は家臣を召し連れず、従三位《じゅさんミ》中納言の威光を以て、たとへ変化《へんげ》の物たりとも見顕《みあらは》さんに、何程の事やあらん。
殊にハ爰《ここ》も日本の内なり。
天下福大将軍の予が、今此の奥を見極むる事に、誰有つて咎《とが》むる事の有るべき様《やう》無し。
可惜《あつたら》家臣を失なわんより、予、直に入りて、変化の物に逢ひなば問答して、彼《かれ》問答に負けなバ、此の所を焼き尽し、怪しミを裂く[離く?]べし。
天下の内、何ぞ正法《しやうぼふ》に不思議有るべきや」
と、宣《のたま》ひて、更に御承引の躰《てい》も見へざりけれバ、御家臣の面/\、何《いづ》れも呆《あき》れ果てゝ、更に御詞《おんことば》を返す者も無し。
是《これ》によつて義公様、裾《すそ》を高く端折《はセお》り給ひ、御大小《おんだいせう》御柄袋《おんつかぶくろ》を取り給ひて、いと静かに藪の中へ入り給ふによつて、御側御近習の面/\、何《いづ》れも御跡に従ひ行《ゆ》かんとするを、厳しく叱り給ひけれバ、何れも詮方《せんかた》無く、差し控へたり。
夫《そ》れより義公様ハ、段/\奥深く入り給ふを、人/\御後ろ影を守り詰め居たりけるに、一町余も御入りなされ候後ろ影、見へけれども、其れよりハ絶へて、御姿も見へ奉らず。
【現代語訳】
なので、ワシは家臣を召し連れず、従三位中納言《じゅさんみちゅうなごん》の威光で、たとえ化け物であっても、簡単に正体を暴いてみせよう。
なにしろここも日本の中である。
天下の副大将軍のワシが、今この藪の奥を見定めることを、誰もとがめることなどできぬ。
惜しくも家臣を失うより、ワシが直々に藪に入り、化け物に会ったならば説得して、もし、化け物が説得に応じなかったら、ここを焼き尽くし、怪しい物を取り払おう。
天下において、正法《しょうぼう》[仏教の正しい教え]に、不思議があるはずがない」
と、おっしゃって、全くご家臣の説得に応じようとしなかったので、ご家臣たちは誰もがあきれはてて、全くお言葉を返す者もいませんでした。
こういうわけで、義公様[黄門様]は着物の裾《すそ》を高く端折《はしょ》り、大小の刀の柄袋をお取りになって、たいそう静かに藪の中にお入りになりました。
お側にお仕えするご家臣たちは、誰もが義公様の後についていこうとしましたが、義公様は厳しくお叱りになったので、誰もどうしようもなく、その場に控《ひか》えるのでした。
それから義公様は、だんだん藪の奥深くにお入りになり、ご家臣たちは義公様のお後ろ姿を見守っていました。
一町余り[約110メートル]ほどお入りになられるまでは、義公様のお後ろ姿が見えたのですが、それからは全くお姿が見えなくなってしまいました。
【解説】
黄門様は家臣たちの制止を振り切って、一人で藪の中に入って行きました。
このころから、「天下の副将軍」を名乗っていたのですね。
ちなみに、「副将軍」という役職は、実際には江戸幕府には存在しません。
原文では「天下福大将軍」となっていますが、「副」ではなく「福」となっているのは単なる誤字です。
作中では「従三位中納言」と名乗っていますが、徳川光圀[黄門様]の実際の官位は正確には「従三位権中納言《じゅさんみごんちゅうなごん》」です。
「中納言」及び「権中納言」の唐名[中国での名称]が「黄門侍郎《こうもんじろう》」です。
水戸[徳川光圀は水戸藩主]の黄門[「黄門侍郎」の略]だから水戸黄門というわけです。
100メートルほど入った所で、黄門様の姿が消えてしまったようですが、はてさて。
僕は「黄門侍郎《こうもんじろう》」じゃなくて、「肛門痔瘻《こうもんじろう》」だよヾ(๑╹◡╹)ノ"
www.mitokomon.net
、、、本年最後の記事の終わり方がこんなんで申し訳ありませんが、来年もよろしくお願いしますですヾ(๑╹◡╹)ノ"
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