◆一猛斎芳虎(歌川芳虎)画「相撲取組双六」◆
※国会図書館の画像を利用しています。
国立国会図書館デジタルコレクション - 相撲取組双六
というわけで、答えあわせです♪
荒馬 小柳
御用木 鏡岩
秀の山 剣山
このメンバーが番付上位六人を占めるのは、
弘化三[1846]年三月場所から嘉永三[1850]年三月場所の間です。
更に、番付の地位が、
秀の山(西大関)・剣山(東大関)
御用木(西関脇)・鏡岩(東関脇)
荒馬(西小結)・小柳(東小結)
のように、この双六に描かれている通りの組み合わせの場所は、
弘化三[1846]年三月場所・弘化四[1847]年二月(三月?)場所・弘化五[1848]年一月場所・嘉永二[1849]年三月場所
の四場所に限られます。
。。。
おや?この双六には横綱がいますよね?
だけど、番付に横綱の文字はありません。
なぜなら、大関の中の優秀者が横綱の称号を与えられるのであって、この頃の番付上の最高位は大関だったのです。
で、調べるとこのメンバーの中で横綱は「秀の山」です。
在位期間は、弘化四[1847]年九月から嘉永三[1850]年三月です。
この前後は横綱不在です。
従って、出版時期は、弘化五[1848]年一月場所と嘉永二[1849]年三月場所の間あたりまで絞ることができます。
あれ、一人横綱なのになんで「西」なの?とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
今は「西」より「東」が上ですが、この当時は東西に優劣はなく、お抱えの藩の所在地などで東西に振り分けられていました。
あ、更に、よく見たら、この双六では「秀の山」となっていますね。
実は嘉永二[1849]年三月場所は「秀の山」ではなく、「秀ノ山」名義なので、はい、この双六の記載と完全に一致するのは、弘化五[1848]年一月場所のみとなります!!!
おそらく、この双六は、弘化五[1848]年の正月用に作られたのでしょうね。
いかがでしょう、たまにはこういう謎解きも面白くないですか?
それにしても、本当にこの横綱は秀の山かしらん?
あ、これが元絵ですね、はい、秀の山(秀ノ山)で間違いないですw
香蝶楼豊国(歌川豊国)画「秀ノ山雷五郎横綱土俵入之図」
※国会図書館の画像を利用しています。
国立国会図書館デジタルコレクション - 秀ノ山雷五郎横綱土俵入之図
ちなみにこの秀の山は、小兵ながら十九年かかって横綱になった苦労人です。
ただ、引退後、自分の弟子をひいきしすぎたため、ほかの力士たちに殺されそうになるという事件を起こしていますw
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