『伽婢子《おとぎぼうこ》』[浅井了意作、寛文六(一六六六)年刊]巻三の三「牡丹灯籠」
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
新日本古典籍総合データベース
【原文】
日も暮れ方に万寿寺《まんじゆじ》に入りて暫《しばら》く休みつゝ、浴室《よくしつ》《ふろや》の後ろを北に行きて見れバ、物古《ものふ》りたる魂屋《たまヤ》有り。
差し寄りて見れバ、棺《くハん》の表《おもて》に、
「二階堂左衛門尉政宣《にかいどうさゑもんのじようまさのぶ》が息女《そくぢよ》弥子《いやこ》吟松院冷月禅定尼《ぎんセうゐんれいげつゼんでうに》」
と有り。
傍《かたハ》らに古き伽婢子《とぎぼうこ》有り。
後ろに「浅茅《あさぢ》」と言ふ名を書きたり。
棺の前に牡丹花《ぼたんくハ》の燈籠《とうろう》の古きを掛けたり。
「疑ひも無く是ぞ」
と思ふに、身の毛 弥立《よだ》ちて恐ろしく、跡を見返らず、寺を走り出て帰り、此の日頃 愛《め》で惑ひける恋も冷め果て、我が家も恐ろしく、暮るるを待ち兼ね、明くるを恨ミし心も、何時《いつ》しか忘れ、
「今夜、もし来たらバ、如何《いかゞ》せん」
と隣の翁が家に行きて、宿を借りて明かしけり。
「さて、如何すべき」
と憂《うれ》へ嘆く。
翁教へけるハ、
「東寺《とうじ》の卿公《きやうのきミ》は、行学《ぎやうがく》兼《か》ね備《そな》へて、しかも験者《げんじや》の名有り。
【現代語訳】
日も暮れる頃に万寿寺に入って、しばらく休みながら、寺の浴室の後ろを北に行ってみると、古びた霊屋《たまや》[遺骸を安置して祭る建物]がありました。
荻原は、近寄って見てみると、棺桶の表に、
「二階堂左衛門尉政宣《にかいどうさえもんのじょうまさのぶ》の娘 弥子《いやこ》、戒名・吟松院冷月禅定尼《ぎんしょういんれいげつぜんじょうに》」
と記してありました。
側には古い伽婢子《とぎぼうこ》[お守り人形]があり、後ろに「浅茅《あさじ》」という名前が書いてありました。
棺桶の前には古い牡丹の花の灯籠がかけてありました。
「間違いなくこれはあの女の墓だ!」
と思うと、恐怖のあまりぞっとして、後ろを振り返らずに、寺を走り出て帰りました。
近頃ずっとゾッコンだった恋も冷めて、自分の家にいるのも恐ろしく、日が暮れて女が来るのを待ち兼ね、夜が明けて女が帰るのを恨んだ、あの時の気持ちも、いつしか消え去りました。
「今夜、もしあの女が来たら、どうしよう」
と、隣のお爺さんの家に行って、一晩宿を借りて夜を明かしました。
「さて、どうしたものか」
と荻原は、つらく嘆きました。
お爺さんは、
「東寺《とうじ》の卿公《きょうのきみ》は、修行と学問のどちらも兼ね備えたお方で、しかも、修験者《しゅげんじゃ》として有名じゃ。
【解説】
はい、確かに万寿寺の辺り、というか、万寿寺に女は住んでましたねヾ(๑╹◡╹)ノ"ヾ(๑╹◡╹)ノ"ヾ(๑╹◡╹)ノ"
古い霊屋《たまや》に祭られた棺桶に埋葬されている「弥子《いやこ》」が、荻原を惑わせた美女の正体だと判明しました。
「二階堂政宣」の娘だというのも嘘ではなかったようで、それなりの身分の方だったから、霊屋で祭られているのでしょう。
副葬品の「浅茅《あさじ》」という名の書かれた古い伽婢子《とぎぼうこ》[お守り人形]が、女の童の正体でしょうね。
女の童が持っていたのは、棺桶の前にかけられた古い牡丹の灯籠だという。
恋はすっかり冷め、恐怖のあまり家にいることも出来なくなった荻原さんに、隣のお爺さんは、東寺《とうじ》の卿公《きょうのきみ》を教えてくれたようですが、はてさて。
挿絵は、霊屋に書かれた文字を見ている荻原さんです。
僕の正体は、実は伽婢子《とぎぼうこ》なんだヾ(๑╹◡╹)ノ"ヾ(๑╹◡╹)ノ"
え? 禿坊主《はげぼうす》?ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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