『義公黄門仁徳録《ぎこうこうもんじんとくろく》』[江戸中後期成立か。呑産通人(呑産道人)作]巻二十七「下総国八幡宮藪を八幡知らずと申す事」
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
新日本古典籍総合データベース
【原文】
是によつて、暫く岩に御腰を掛けられ、御休足《ごきうそく》有つて、八方を御覧あるに、左りの方に、夥《おびたゞ》しく生い繁り、木の間より微《かす》かに見ゆるか見へぬかと言ふ程に、燈《ひ》の光り立ちければバ、
「扨《さて》こそ此所《ここ》彼《か》の変化の棲家《すみか》にて有るべし」
と思《おぼ》し召しけれバ、杦《すぎ》の繁ミを彼方此方《かなたこなた》と御歩行有るに、是よりは更に道と言ふ物無く、蔦葛《つたかづら》に御手を掛けられ、或ひハ木の根を攀《よ》ぢ登り給ひ。又ハ冷水の流れを渡り給ひ、熊笹の生い繁りたる事、弥《いや》が上に重なり、御足を痛め給へ、誠に千辛万苦《せんしんばんく》遊ばし、漸《やう/\》少し広き所へ出給ふに、向かふを御覧有れバ、古びたる社《やしろ》有り。
鳥居は朽ちて、笠木も傾《かたぶ》き、家根《やね》ハ荒れ果てゝ、草生い繁り、いと森《しん》し[森/\]たる事、誠に神さびて見へ給ふニ、何の社と言ふ標《しるし》も無く、其の内に微《かす》かに燈明を掲《かゝ》げ有り。
是、最前、仄《ほの》かに見いし者なるべし。
是によつて、義公様、荒れ朽ちたる社檀へ御草鞋《おんわらぢ》のまゝ上らセ給ひ、良く/\御覧有るに、正八幡《しやうはちまん》と記したる額の、如何《いか》にも古びて文字さへ更に分かたず、漸《やう/\》文字見へけれバ、爰《ここ》に於《お》いて社檀に跪《ひざまづ》き給ひて、源家《げんけ》の守り神なれバ、暫く拝ミ給ひ、
【現代語訳】
そういうわけで、義公様[黄門様]は、しばらく岩に腰をお掛けになって、お休みになりました。
八方をご覧になると、左の方に杉がたくさん生い茂り、木の間から、見えるか見えないぐらいかすかに、灯明が確認できました。
「まさしく、ここが八幡知らずの化け物の棲《す》み家だろう」
と義公様はお思いになり、杉の茂みをあちらこちらとお歩きになりました。
ここからは、全く道と言うものが無く、蔓草《つるくさ》に手をおかけになられたり、木の根をよじ登りになられたり、冷たい水の流れをお渡りになられたりしました。
熊笹が何重にも生い茂るので、足をお痛めになり、実に苦しい思いをなされ、やっとのことで少し広い所にお出になりました。
前方を見ると、古びた社《やしろ》がありました。
鳥居は朽ちて笠木[上部に渡した横木]も傾き、屋根は荒れ果てて草が生い茂り、たいそうひっそりと静まり返り、いかにも年を経た様子に見えました。
何の社という標《しるし》も無く、社殿の中にかすかに灯明が掲げられていました。
この灯明は先ほど、木の間からかすかに確認したものでしょう。
こうして、義公様は荒れて朽ちた社殿に草鞋《わらじ》のままお上りになり、よくよくご覧になると、いかにも古びて、「正八幡《しょうはちまん》」と記した文字がやっとのことで読める額がありました。
八幡神は源氏の守り神なので[徳川家は源氏の流れという]、ここで義公様は社殿にひざまづかれ、しばらく拝まれました。
【解説】
道なき道を進み、黄門様はようやく化け物のアジトだと思われる古いお社《やしろ》にたどり着きました。
果たして化け物の正体は? 黄門様の運命はいかに? 次回に続くヾ(๑╹◡╹)ノ"
やっぱり僕は化け物なのかなあヾ(๑╹◡╹)ノ"
君はバケ物というより、ハゲ物だよヾ(๑╹◡╹)ノ"
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