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[11]水戸黄門、八幡の藪知らずへ!~江戸時代に書かれた水戸黄門漫遊記~

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『義公黄門仁徳録《ぎこうこうもんじんとくろく》』[江戸中後期成立か。呑産通人(呑産道人)作]巻二十七「下総国八幡宮藪を八幡知らずと申す事」
国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA) 
新日本古典籍総合データベース

【原文】

 両手を伸べて義公様を捕らへ、目より高く差し上げたり。

 義行様も差し上げられながら、御刀を抜き給ひ、
「無礼な奴」
 と仰せながら、切り付け給ひバ[給へバ]、其の儘《まゝ》取つて投げつけられしに、義行様、矢張《やは》り以前の薮の中に立ち給ひ、風の音のミ木霊《こだま》に残り、時刻も然《さ》のみ経ちたる躰《てい》にも非《あら》ず。
 四方を見渡し給ひど[給へど]、只一面の薮にて、少しも怪しき事ハ無し。
 此処《こゝ》に於《お》ゐて、初めて御心付き給ひ、
「此の薮ハ八百万神《やほよろづのかみ》住み給ふ、神の森なり。
 後/\決して人の出入りも禁制致すべし」
 と有つて、薮の外へ出給ひバ[給へバ]、御家臣の面/\も大きに喜びしに、義公様、御顔の色、青褪《あおざ》め給ひし故に、人/\早速御薬を調進し、御機嫌を伺いしに、
「何も変わる事なし」
 との仰セニ、皆/\安堵致し、夫れより、此の所へ禁制の御高札を立てられ、
「誠に八幡に居て、此の薮を知らねバ、是、実に八幡知らずなり」
 と仰セられ、西山へと御帰り有らセられける。

 義公黄門仁徳録巻弐拾七終

 【現代語訳】

 両手を伸ばして義公様[黄門様]捕まえの位置より高く持ち上げました。
 義公様も持ち上げられながら、お抜きになり、
無礼な奴め!」
 とおっしゃいながら、切り付けになると、老人義公様を持ち上げたまま投げつけました。
 すると、そのまま義公様元の藪の中お立ちになっていました。
 風の音だけがこだまのように残り時間もそれほど経ってはいないようでした。
 四方見渡しになられましたが、ただ一面の藪で、少しも変ったことありませんでした。
 ここで初めて義公様ハッお気づきになられて、
この藪八百万《やおおよろず》の神[多くの神々]お住みになる、神の森である。
 以降、人の出入り完全禁制にしなければ」
 とお思いになり、藪の外お出になりました。
 御家臣の面々も、とてもお喜びになりました。
 義公様お顔の色が、青ざめてらっしゃったので、御家臣の面々は、すぐに調達し、ご気分お尋ねになると、義公様は、
「全く問題ない
 とおっしゃったので、御家臣の面々安心しました。

 それから、ここに立ち入り禁制の高札立てられ、
「なるほど、八幡《やわた》住んでいても、この藪の中がどうなっているか、誰も知らなかったので、まさしくここは「八幡知らず」というピッタリだな」
 とおっしゃられ西山茨城県常陸太田市。光圀が隠居生活をした場所]お帰りになりました。

【解説】

 天帝の使いという老人切りつけるという暴挙に出る黄門様でしたが、気づいたら、洞穴の中の社殿ではなく、元の薮の中立っていました。
 黄門様冷静になって、数々の怪異化け物の仕業ではなくて、神の仕業だということに気づいて「やべっ」てなったようです(笑)
 なにはともあれ、黄門様無事帰還し、八幡知らず立ち入り禁止にして、めでたしめでたしということでヾ(๑╹◡╹)ノ"
 死体の山説明何もされていないとか、ちょっとモヤってる部分がありますが、それに関しては次回で。

 黄門様は気づいたら元の藪の中いたみたいだけど、は気づいたらお金払ってないのにお店の外いたよヾ(๑╹◡╹)ノ"

 ただの食い逃げじゃねえか!ヾ(๑╹◡╹)ノ"

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