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[9]藤屋市兵衛 ~『町人考見録』より~

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徳川時代商業叢書 苐一 - 国立国会図書館デジタルコレクション

【現代語訳】

 二代目の市兵衛も、長崎手代派遣して商売をしました。
 その他に、少しずつ堅実な町貸し[町人相手の金貸し]もしました。
 商品に積んでおいて、利益出ないときは、売らずにいつまでも貯えておいたので、遠くから入手した貴重な商品なども多く所持し、堅実暮らし向きを保っていました。
 しかし、三代目の市兵衛は、素行不良ぜいたく者だったので、次第に日々の出費多くなりました。
 二代目のように堅実商品蓄えておくのは、手っ取り早く金にならないのでやらず、その上、どんぶり勘定なので、収入と支出の計算がいつも合わないようになり、日々の出費増える一方で、おさまりませんでした。
 そして、ふと大名貸し[大名相手の金貸し]を始め、やめたくても引くに引けなくなってしまい、よそから借金までしましたが、それでも首が回らなくなり、十四、五年前にパタンと藤屋つぶれてしまいました。
 この大名貸しも、実は、があったから始めたわけです。
 この三代目市兵衛舅《しゅうと》の方浦井七郎兵衛が、大名貸しだったので、ちょこちょこと留守居役人などに接する機会があって、それで大名貸し引き込まれたのです。
 また、浦井も、自分が貸した金大名に返してもらえないので、三代目市兵衛大名貸し加われば、大名方への体裁良く借金を返してもらう働きかけしやすくなると思ったので、ここぞとばかりに、三代目市兵衛大名貸し引き込んだのですが、とうとう両家ともに、大名借金踏み倒されて、つぶれてしまいました。

 初代市兵衛が先述のように家業立ち上げ質素な生活をし、堅実家業後継者引き継いだのですが、三代目市兵衛調子に乗って初代の教え忘れ商売の基本反し大名貸しをしてしまったのです。
 初代市兵衛商人の鏡であり、三代目市兵衛子孫への悪い手本であると、常に肝に銘じなければなりません。

【解説】

 二代目初代の志受け継い堅実だったみたいですが、三代目初代とは逆の性格の人物だったようで、やらかしてつぶれてしまったようです。

 藤屋つぶれたのは、一七一三、四年頃ですかね。

 大名貸しという、大名相手の取引ステイタスであり、魅力的だったのでしょうが、相手大名です。
 返済滞ったり、踏み倒すのは当たり前で、結果、大名貸しをした多くの店つぶれてしまったようです。
 でも、大坂の鴻池《こうのいけ》のように、大名貸しによって、藩の財政掌握してしまう商人もいたというから、すごいですよねヾ(๑╹◡╹)ノ"

 ちなみに、『町人後見録』によると、初代融資をした袋屋大名貸しによって、六十年ほど前[一六六八年頃か]つぶれてしまったみたいです。

 さて、藤屋市兵衛に関しては、『日本永代蔵』同時期書かれた、興味深い資料があるので、次回紹介したいと思います。
 その資料には、みなさん気になっている、藤市の娘さんその後についても書かれていたりします。

 

  三代目じゃなくて、三つ目だよ ヾ(๑╹◡╹)ノ"

  三枚目だけどな ヾ(๑╹◡╹)ノ"

 

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