そうげん火のお話の続きですヾ(๑╹◡╹)ノ"
どうやら、壬生寺の近くに出る怪火のお話のようですヾ(๑╹◡╹)ノ"
『新御伽婢子《しんおとぎぼうこ》』巻三「野叢火」[天和三(一六八三)年刊、西村市郎右衛門作]
※東京大学駒場図書館所蔵。赤字の書入れ等は筆者。
国書データベース
【原文】
茶店《ちやてん》、軒《のき》を並べ、參詣《さんけい》の人、更《さら》に止《や》む時無し。
此の寺の傍《かたハら》に、草茂《くさしげ》り松生《まつお》ひたる野に、一つの㚑火《れいくハ》有《あ》りて、闇夜《あんや》《やミのよ》に成れば、必ず其の辺《わた》り飛行《ひぎやう》す。
其の火、世の常に変はり、色青《いろあを》く光り、或る時ハ草に在り、或る時は空《くう》に、一所《いつしよ》定《さだ》めず。
俗、宗玄火《そうげんび》と呼《よ》ぶ。
其の始《はじ》めを聞《き》くに、昔、此の地蔵堂《ぢざうどう》に、宗玄と言ふ下法師《したほふし》、仏の御燈《ミみあかし》を掲《かゝ》げる事を領《れう》ず。
形、衣鉢《いはつ》に飾れども、心《こころ》、鬼畜《きちく》に等しく、散銭《さんせん》奉納《はうのう》の類《るい》、我意《がい》に任《まか》せて掠《かす》め取り、殊《こと》に己《をのれ》が所作《しよさ》の灯明《とうみやう》の油を盜《ぬす》ミ、賣代《うりしろ》成す事、數年《すねん》を経《ふ》れども、仏天《ぶつてん》、是を悪《にく》み給ヘバにや、一生《いつしやう》冨貴《ふうき》の花も無く、栄耀《ゑいよう》の月を待ち得ず、終《つゐ》に無常《むじやう》の嵐《あらし》の前《まへ》に、業障《ごつしやう》の身を苦《くる》しめ、暗きより暗き道に入《い》りぬ[和泉式部の歌「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月」を踏まえているか]。
臨終《りんじう》の悪相《あくさう》に、人、猶《なを》、日来《ひごろ》の所為《しよゐ》を思ひ合はせて、舌を卷《ま》く。
【現代語訳】
茶店が軒を連ね、参詣の人が途絶えることは全くありません。
この寺[壬生寺]の側に、草がボーボーで、松が生えている野原があります。
そこに不思議な火が現れて、闇夜になると、必ずその辺りを飛び回ります。
その火は、普通の火と異なり、青色に光り、ある時は草の中にいて、ある時は空にいて、あちこちに現れます。
その火のことを、世間一般では、宗玄火《そうげんび》と呼びます。
この宗玄火の由来を聞くと、昔、この地蔵堂[壬生寺]に宗玄という下法師《しもほうし》[最も身分が低い僧]がいて、仏にお供えする灯明を管理する役目を任せられていました。
宗玄は、僧侶の姿をしているものの、心は鬼畜《きちく》と同じで、賽銭《さいせん》や奉納品などを、思うがままに盗み取りました。
特に、自分の役目である灯明の油を盗み、売って金にすることを何年も続けました。
しかし、仏はこのことを許しがたくお思いになったのでしょう、宗玄は一生、富貴《ふうき》の花が咲くことはなく、栄耀《えいよう》の月を見ることもできませんでした[一生、貧しく、低い身分のままでした]。
そして、嵐が灯火《ともしび》を消すように、悪業を尽くした身を苦しめながら、宗玄は、暗い人生を終え、更に暗い死後の道に足を踏み入れたのでした。
臨終の際の恐ろしい宗玄の顔付きを見て、人々は、宗玄の日頃の悪行を思い起こして、ゾ~っとしたのでした。
【解説】
壬生寺《みぶでら》の側の荒れた野原に出る、宗玄火《そうげんび》という怪火のお話です。
やっぱり怪火って青色が定番なんですね。
壬生寺の僧であった宗玄のエピソードを語る前に、宗玄火という名称を出してしまったせいで、宗玄火の正体が宗玄であるということが、すでにネタバレしてしまっているというヾ(๑╹◡╹)ノ"
三つ目も盗み食いばかりしてると、バチが当たるよヾ(๑╹◡╹)ノ"
僕がするのは盗み食いじゃなくて、拾い食いだよ! ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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