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[3]そうげん火~『新御伽婢子』より~

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  そうげん火お話続きですヾ(๑╹◡╹)ノ"

 亡くなった宗玄が、村人の夢現れますヾ(๑╹◡╹)ノ"
  

 


『新御伽婢子《しんおとぎぼうこ》』巻三「野叢火」[天和三(一六八三)年刊、西村市郎右衛門作]
東京大学駒場図書館所蔵。赤字の書入れ等は筆者。
国書データベース

 

【原文】

 此の後、此の御堂《みどう》の前後左右《ぜんごさう》の野中《のなか》に、灯炉《とうろ》の大《をゝ》きさなる火一つ、飛行《ひぎやう》す。
 或る時、此の里の人の夢に、
「我ハ壬生寺《みぶでら》の宗玄《そうげん》にて侍り。
 斯様《かやう》/\の事有りて、今、焦熱《セうねつ》の猛火《みやうくわ》に焦がれ、此の悪業《あくごう》を償《つぐの》ふ苦しさよ。
 一魄《いつこん》ハ此の土《ど》留まり、昼夜《ちうや》苦しミ、身を焼く也」
 と。
 猶、此の事、繁《しげ》く言はんとせしが。消《き》えて跡無く失《う》せぬ。
 其れより野人《やじん》、此の名を呼《よ》ぶとぞ。
 寬文の頃にや、去《さ》る人、西院《さゐいん》より、夜更《よふ》けて京に帰る折節、雨さへ降《ふ》りて、行路《ぎやうろ》暗く覚束《おぼつか》無し。
 斯《か》ゝる所に、光《ひかり》有つて、大《をほ》きなる火、固まりたる中に、法師の頸《くび》顯《あらハ》れて出できたる。
「あ」と言ふ聲《こゑ》の内より、男、忽《たちま》ち絶入《ぜつじゆ》したり。
 明け方に成りて、行かふ人、薬《くすり》を与へ、水注ぎ、息出でて、此の事を語りしにぞ。
「扨《さて》ハ例《れい》の火」
 と知りぬ。


【現代語訳】

 宗玄亡くなったあと、この御堂《みどう》壬生寺前後左右野原の中に、灯炉《とうろ》[灯籠]大きさ一つ飛行するようになりました。

 ある時、この村里[西院]の人宗玄現れて、

壬生寺の宗玄である。

 カクカクシカジカの事があり[生前に悪い事をしたので]、今、焦熱地獄《しょうねつじごく》激しい炎焼かれて、この悪業《あくごう》償《つぐな》うために苦しんでいる。

 魄《たましい》[肉体をつかさどる気]この地に留まって、昼夜苦しみながら、この身焼かれている」

 と言いました。

 宗玄はもっと、この事について、しきりに訴えようとしていましたが、そのうち、村里の人の夢から、跡形も無く消え失せてしまいました。

 それから、この村里の人たちは、この火に、宗玄の名を付けて呼ぶようになったのです。

 寛文[一六六一年~一六七三年]の頃だったでしょうか、ある男西院から帰る途中、降る上に、暗くなってよく見えなくなりました。

 こんな時に、現れ大きな火固まっているから、法師の首出現しました。

「あ!」出したかと思うと、はすぐに気絶してしまいました。

 明け方になり、通行人が、倒れている男見つけ薬や水飲ませると、を吹き返し、この出来事語ったのでした。

「さては例の火だな」

 と、その火宗玄火だと確信したのでした。


 【解説】

 いやあ、宗玄火宗玄が発している火だと思ったら、宗玄が地獄の炎に焼かれている姿だったとは!ガクブル((((;゚Д゚))))

 本編はここで終わりなのですが、このあとに、挿絵追記的な文章があるので、次回に続きますヾ(๑╹◡╹)ノ"

 

 

 宗玄地獄の炎焼かれたけど、モテモテみんな妬《や》かれてるよ ヾ(๑╹◡╹)ノ"

 一度、ちゃんと君の脳みその中病院診てもらおうねヾ(๑╹◡╹)ノ"

 

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