北見花芽の江戸文学紹介ブログは、この「うきよのおはなし」(本館)と、「浮き憂き江戸文学」(別館)の二体制で運営することになりましたヾ(๑╹◡╹)ノ"
というわけで、別館で予告していた、『新御伽婢子』巻三に書かれている、「そうげん火」のお話を読んでいきましょうヾ(๑╹◡╹)ノ"
『新御伽婢子《しんおとぎぼうこ》』巻三「野叢火」[天和三(一六八三)年刊、西村市郎右衛門作]
※東京大学駒場図書館所蔵。赤字の書入れ等は筆者。
国書データベース
【原文】
野叢火《やさうのひ》
都四条の北、大宮《おほミや》の西に、古《いにしへ》、淳和天王《じゆんわてんわう》の離宮《りきう》在りける。
此処《こゝ》を西院《さいゐん》と名付く。
後に橘《たちばな》の大后《おほきさい》の宮《ミヤ》、住み給ヘりと言ふ。
時移り、世遥かに、宮殿《きうでん》ハ皆、絶《た》えて、纔《わづか》に名のミ殘り、今《いま》ハ野夫《ヤふ》の住み家と成れり。
此の南《ミんなミ》に壬生寺《じんしやうじ》とて、いと尊《たうと》き地蔵《ぢざう》の在《いま》そがりけり。
何時《いつ》も、弥生《やよひ》の頃、大念佛《だいねんぶつ》を始《はじ》めて、其の間に狂言《きやうげん》を盡くし、猿《さる》の面《おもて》着《き》たる男《おのこ》、縄《なハ》を伝ひて、軽業《かるわざ》の曲《きよく》を為《な》しける
【現代語訳】
野叢《やそう》[野原、草むら]の火
都の四条通りの北、大宮の西に、昔、淳和天皇《じゅんなてんのう》の離宮がありました。
この場所は西院《さいいん》と名付けられました。
のちに、橘《たちばな》の皇后[橘嘉智子《たちばなのかちこ》]がお住みになったと言います。
時は移り、長い年月が経つうちに、宮殿は全て無くなり、わずかに西院と言う地名だけが残り、今は農夫が住む場所になりました。
ここの南に壬生寺《みぶでら》という寺があり、たいそうありがたい、地蔵菩薩様がいらっしゃいました。
いつも三月ごろに大念仏と言うイベントが始まり、その期間に狂言が行われ、猿のお面をかぶった男が綱渡りをする曲芸をしました。
【解説】
まずは、導入部分です。
舞台は京都の壬生寺のようです。
ちなみに、壬生大念仏狂言は、現在も継承されています。
やあ、僕もはてなに帰ってきたよ ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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