国書データベース
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
【原文】
助《すけ》と言ふ者なり。
慶長《けいちヤう》年中に絹川《きぬがハ》にて沈《しづ》め殺《ころ》されしが、此の度《たび》、累《かさね》が往生《わうじヤう》セし事をうら山しく思ひて来れり」
と言へバ、村《むら》の老年《らうねん》が曰《いは》く、
「其れは累《かさね》が兄《あに》なり。
其の者の母《ハゝ》、助《すけ》を他所《たしよ》にて産《う》ミ、六歳の時、此の村に嫁《か》し来れり。
然《しか》るに、継父《けいふ》、助が生まれ付《つ》き悪《あ》しきを否《いな》ミて、『佗《た》に育《ヤしな》ハセよ』と一向《ひたすら》に云《い》ひしかば、母《ハゝ》、
『此の子、醜《ミにく》く生まれ、我だに鬱悒《いぶセ》く思ふに、誰人《たれびと》が育ひ侍らん』
とて、絹川《きぬがハ》に連れ行きて、終《つゐ》に沈《しづ》め殺《ころ》しつ。
其《そ》ゝ後《のち》、川の辺《ほとり》にて、雨《あめ》の夕暮《ゆうぐ》れ等《など》にハ、五六歳《ごろくさい》の童《ワらハ》を見し人、多かりしハ、此の助《すけ》が兦魂《ぼふこん》ならん」
【現代語訳】
助《すけ》という者である。
慶長年中[一五九六年~一六一五年]に絹川で沈め殺されたのだが、このたび、累《かさね》が往生したことを、うらやましく思って来た」
と言いました。
村の長老が言うには、
「助は累の兄である。
助の母は、助を他の土地で産み、助が六歳の時、この村に嫁いできた。
だが、継父《ままちち》は助が生まれつき醜いのを嫌がって、
『助をどこかに養子に出せ』
とずっと言い続けた。
助の母は、
『この子は醜く生まれ、私でさえ不愉快に思っているのに、誰が養子に貰ってくれるものか』
と思い、絹川に連れて行って、とうとう助を沈め殺した。
それから、絹川の辺《ほとり》で、雨の夕暮れなどには、多くの人が、五、六歳の子どもを見たが、それは、この助の亡霊であろう」
とのことでした。
【解説】
菊に取り憑《つ》いたのは、累の兄の助でした。
兄妹、二人とも醜いから絹川で殺されるという因縁。
祐天さん、助も成仏したいようですから、何とかしてあげてください。
次回で最終回です。
僕は美形に生まれて良かったよヾ(๑╹◡╹)ノ"
良い眼科を紹介してあげるよヾ(๑╹◡╹)ノ"
グループ参加してます、ポチしてね♪
新ブログ開設しましたヾ(๑╹◡╹)ノ" よろしくね♪
kihimikeheme.hatenablog.com
三つ目のLINEスタンプ、発売しました!
store.line.me
◆北見花芽のほしい物リストです♪
5月3日は北見花芽の誕生日です!
◆拍手で応援していただけたら嬉しいです♪
(はてなIDをお持ちでない方でも押せますし、コメントもできます)
◆ランキング参加してます♪ ポチしてね♪