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[9]累ヶ淵~『近世奇跡考』より~

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※この記事では国立国会図書館デジタルコレクションの画像を適宜改変して使用しています。
近世奇跡考 5巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

【原文】

芭蕉が『奥の細道』に下野《しもつけ》の那須野《なすの》ニて、
「小さき者二人、馬の路を慕ひて走る。
 一人ハ小姫《こひめ》にて、名を『かさね』と言ふ。
 聞き慣れぬ名の優しかりければ」
 と書きて、曽良《そら》が句に、
「かさねとハ 八重撫子《やえなでしこ》の 名なるべし」
 と有り。
 是も累《るい》と言ふ名を訓《くん》にて呼びしならめ。
「かさね」と言ふを、「聞き慣れぬ名の優し」と思へるハ、元禄の頃ハ、羽生村の累《かさね》が事、然迄《さまで》世に聞こへざりしにや。

【現代語訳】

松尾芭蕉奥の細道[元禄十五年(一七〇二)年刊]下野国《しもつけのくに》那須野《なすの》[栃木県]箇所で、

幼い者二人を追って走ります。
 一人女の子で、名前『かさね』と言います。
 聞き慣れない名前で、優しい響きだったので、」

 と書かれ、河合曽良《かわいそら》で、

かさねとは、八重撫子《やえなでしこ》[花の名][「かさね」と「重」をかけた]のように可愛らしい名前ですなあ」

 とあります。
 これも「累《るい》」という訓読みにして呼んだのでしょう。
「かさね」「聞き慣れない名前で、優しい響き」思ったのは、元禄の頃は、まだ羽生村の累《かさね》のことが、それほどは広まっていなかったということでしょうか。

【解説】

 元禄三[一六九〇]年刊『死霊解脱物語聞書』累のお話広まったはずなのですが、芭蕉曽良知らなかったようですね。

 恐ろしいイメージを持ってしまった「かさね」と言う名が、奥の細道では真逆可愛い名前思われているのが面白いです。

 もうちょい続きますです。

 

 「三つ目」って名前には、みんなどんなイメージ持ってるのかなあ?ヾ(๑╹◡╹)ノ"

 やっぱ、インテリとかイケメンとかかなあヾ(๑╹◡╹)ノ"

  やっぱ、インチキとかイケテナイとかだなヾ(๑╹◡╹)ノ"

 

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