※この記事では国立国会図書館デジタルコレクションの画像を適宜改変して使用しています。
近世奇跡考 5巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
【原文】
与右衛門、後に剃髪して、西入《さいにう》と云ふ。
延宝四年六月廿三日、死す。
其の子孫、今も尚《なほ》、羽生村に有りて、代〻堀越与右衛門と名告《なの》る
當代にて西入与右衛門より、五、六代、相續《さうぞく》すと聞きぬ。
菊ハ長壽《ちヤうじゆ》にて、享保十五年 戌《いぬ》 五月三日、七十二歳にて、身罷《みまか》りぬ。
同村羽生山法蔵寺ハ、与右衛門代〻の菩提寺《ぼだいじ》也。
累《かさね》、助《すけ》、菊、三人の墓《はか》有り。
累《かさね》、助《すけ》、成仏得脱《じやうぶつとくだつ》の絵曼陀羅《ゑまんだら》有り。
明顕瑞祥録《めいけんずいしやうろく》と云ふ古書《こしよ》二巻有り。
累等《かさねら》が事跡《じせき》を録《ろく》す。
法蔵寺 過去帳冩《くわこちヤうのうつし》
理屋松貞信女《りおくせうていしんによ》 俗名るい。行年三十五。正保四 丁亥《ひのとい》 年八月十一日。初法名 香誉妙林《かうよミヤうりん》。
單到真入童子《たんたふしんにうどうじ》 俗名助。三歳。寛文十二 壬子《みずのえね》 四月十九日。此の年号ハ、助《すけ》、得脱《とくだつ》の年也。実ハ、慶長十七壬子年四月十九日、死。
榮譽不生妙槃信女《ゑいよふしやうミヤうハんしんによ》 俗名きく。行年七十二。享保十五 庚戌《かのえいぬ》 五月三日。
以上。
【現代語訳】
与右衛門は、後に剃髪して出家し、西入《さいにゅう》と名乗りました。
与右衛門は、延宝四[一六七六]年六月二十三日に亡くなりました。
与右衛門の子孫は今もまだ羽生村に居て、代々、堀越与右衛門と名乗っています。
今の代で、西入与右衛門から、五、六代は続いていると聞きます。
菊は長寿で、享保十五[一七三〇]戌年五月三日、七十二歳で亡くなりました。
羽生村の羽生山法蔵寺は、与右衛門代々の菩提寺《ぼだいじ》です。
累《かさね》、助《すけ》、菊《きく》、三人の墓があります。
累と助が成仏するまでを描いた、絵曼陀羅《えまんだら》があります。
『明顕瑞祥録《めいけんずいしょうろく》』という二巻の古書があり、累たちの一件が記録されています。
法蔵寺の過去帳の写し
理屋松貞信女《りおくしょうていしんにょ》 俗名るい。享年三十五歳。正保四[一六四七]丁亥《ひのとい》年 八月十一日歿。最初の戒名は香誉妙林《こうよみょうりん》。
單到真入童子《たんとうしんにゅうどうじ》 俗名助。享年三歳。寛文十二[一六七二]壬子《みずのえね》年四月十九日歿。この年号は、助《すけ》が成仏した年である。実は、慶長十七[一六一二]壬子年四月十九日に亡くなった。
榮譽不生妙槃信女《えいよふしょうみょうはんしんにょ》 俗名きく。享年七十二歳。享保十五庚戌《かのえいぬ》五月三日歿。
以上。
【解説】
現在、法蔵寺には、ここに書かれている累・助・菊の墓と、絵曼陀羅が現存しています。
また、祐天が使用した数珠も現存しています。
この本が書かれた当時、過去帳もあって与右衛門の子孫もいたとのことです。
少なくとも、この時代には、累ヶ淵の出来事は、実話だとされていたようですね。
次回でおしまいにしますです。
菊さんが亡くなったのって、五月三日なんだ。
五月三日って、何の日だったっけ?
知らん!ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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