男色比翼鳥[宝永四(一七〇七)年正月刊 東紙子作、奥村政信画]巻1~3のダイジェストだよ!
巻一の一 願は同二人少人
丹後国[京都府北部]片野に唐崎音羽之丞という十四歳の少年がいた。
父は北国の大名に仕えたことのある浪人であったが、幼いころに両親が死に、伯母の養育で成長した。
ある時、音羽之丞は良い兄分が欲しいと、切戸の文殊堂に参詣した。
そこに親・松枝藤兵衛の敵・栗原安左衛門を討ちたいと祈る松枝緑之助も籠もっていた。
緑之助も兄分を授かりたいとのことになり、共に祈って休んでいると、二十ばかりの僧[文殊の化身]が内陣から出て来て、
「安左衛門は隅田川のほとりで村雲一平次と改め、兵法の指南をしている。
牛島の傍(かたわ)らに住む奥村幸手軒というものが頼りになり、その親友の山田半平・市川源蔵はお前たちに縁のあるものだから、尋ねて男色の結びをして共に敵を討つのがよい」
と告げ、比翼鳥を招いた。
両人は比翼鳥に乗ったところ、下総国石原[東京都墨田区]に降ろされた。
※詳細は個別の記事を参照くださいませ。kihiminhamame.hatenablog.com
巻一の二 姿は同風流男
奥村次郎左衛門[幸手軒]のもとに、かつての朋輩・山田半平と市川源蔵が尋ねて来た。
三人は殿の目をくらまして小姓と不義をしたために浪人となったのであった。
今は妻を持ち女色に傾く山田・市川は、いまだに若衆好きな奥村に、男色をやめるよう勧めた。
奥村「女色は無益、男色は有益で、これほど美なる楽しみはない。」
市川「女色には様々の徳があるが、男色にはどのような楽しみがあるのか?」
奥村「女色により人民が悲しむのを見て、文殊が空海に現じ、ありがたい男色を広めた。
女色に徳はないと考え、ここに引っ込み幸手軒という親父くさい名を付けたのも、女を見たくないからだ。」
山下「無理に幼い身を大の男の楽しみとするのは酷い事だ!」
奥村「男色は当分の慰みなどではない。
男色は深いものだ。
男色には五つの徳がある。
①兄分が悪病にかかっても、心中の良い弟分を持てば、皆が見捨てても看病をしてくれる。
②男色の相手がいれば、敵を持つ身の良き後見となり、本望を遂げた例も多くある。
③武士にとって妻子は首かせになり、それによって思わぬ恥辱を受けるハメになる。
百姓・町人も腎虚で命を無くすだけで、未来まで念を残し、中有に迷うものも多い。
男色にはそのような二念がなく、命を捨てて義理を守り、互いに意気地を磨き合う。
④いくら兄分が抜け作でも、かわいい弟分が異見すれば、真者となる。
⑤男色には女色のような嫉妬・妬みがなく、契りが深いものである。
このような男色の意気地を知らずに女色に傾けとは!」
山田・市川「皆、女の腹より出生し、女がなければ世界はない。
男色でも嫉妬のある話をしよう。」
※詳細は個別の記事を参照くださいませ。kihiminhamame.hatenablog.com
巻二の三 嫉は同神前の絵馬 [※章番号は巻一から連続しています]
[山田・市川の話]
寛文年中[1161~1673年]に、都五条あたりの商人で、奈良へ行商する者が、伏見の里・御香宮(ごこうのみや)神社で夜を明かすことになった。
すると、そこに十五・六歳ぐらいの少年[上座の少年]が十二・三歳ぐらいの少年[下座の少年]を召し連れて現れ、商人と酒宴に及んだ。
しかし、商人が下座の少年の手を取るのを、上座の少年が嫉妬して、下座の少年に盃を投げ付けた。
これらは全て商人が見た夢で、夢の中の少年たちは神前の絵馬の中の者と分かり、絵馬の一人の少年の顔の部分が破れていた。
山田・市川「このように、女色だけではなく、男色にも嫉妬はある。」
未成年の飲酒は現在では法律で禁止されています(笑)
巻二の四 情は同古今の誉
[奥村の話]
天和年中[1681~1684年]の春、江戸浅草の紙問屋・松本屋清左衛門の一子・吉三郎は、高島平内という浪人と兄弟分になった。
平内は病に伏し、親類にも見放されるが、吉三郎は親に勘当されてまでも平内の看病をした。
平内の病は段々回復し、前に仕えていた大名から元の七百石の知行で再雇用され、二人はますます仲睦(むつ)まじくなった。
奥村「女色ではまずありえない、男色の意気で義理深い話。
所詮、前章の話は夢の中の出来事。
男色においては嫉妬のようなものはない!」
巻一の二で奥村が主張した「男色の五つの徳①」の実例ですね。
武士と町人の身分違いの男色ですが、思っているより身分間の隔たりはなかったのかもしれませんね。
◆巻三の五 恨は同途中の魂
[山田・市川の話]
今、江戸の芝の傍(かたわ)で商売をする奥田の何がしは、若衆好きで近所で奥田に従わない若衆はいなかった。
中でも和泉屋庄蔵の一子・三之丞と深い仲であった。
しかし、奥田が別で親しくしている本間喜六が、三之丞に額の毛を抜かせ、酒を飲んで戯れるのを見て奥田は怒り、三之丞を睨(にら)みつけ、三之丞と交わした起請文を焼いてしまった。
それから奥田は平野次郎八という十二歳の若衆と深い仲になった。
それを知った三之丞は狂乱し、生霊となって次郎八の前に現れた。
三之丞の思いの深さを知った奥田は、三之丞と次郎八の両人と契りを交わすことになった。
山田・市川「情あっての男色契約はせいぜい千人に一人か二人。
男色には嫉妬がないとはおかしな言い分。」
要は奥田がモテモテだったということですかね(笑)
◆巻三の六 屍は同賀茂川の煙
[奥村の話]
その昔、西国[九州]の大名に仕える小姓・梅が枝香薫之介(かおりのすけ)は、桜山花右衛門という中小姓と兄弟契約をしていたが、そのことが若殿の耳に入り国外追放処分になった。
香薫之介は母方の伯父が住む遠州[静岡県]浜松に、花右衛門は京に居を移した。
香薫之介は浜松で伯父の子になり元服したが、花右衛門の行く末が気になり京へ赴(おもむ)いた。
そして、五条大橋を渡った辺りで貧人となった花右衛門と出会った。
香薫之介は家来の森元弥五郎に、百両を渡し、「その金で着物や刀を揃えて花右衛門を連れて来るように」と指示するが、弥五郎は百両を落としてしまった。
弥五郎は再び金子を受け取り五条大橋の辺りに行くと、ある貧人が百両を拾ってくれていた。
弥五郎は花右衛門の顔を知らなかったので、その貧人[実は花右衛門]に花右衛門の行方を問うと、「去年六月十四日の祇園会の日に死んだ」と言った。
そして、貧人は「花右衛門に託された」と言って一通の手紙を弥五郎に渡した。
弥五郎は宿に帰り、香薫之介がその手紙を見ると、それは花右衛門と取り交わした起請文であった。
香薫之介は弥五郎を召し連れて、再び五条大橋の辺りに行くが、花右衛門は既に自害していた。
香薫之介も同じ枕に自害したので、弥五郎もその場で自害した。
奥村「そりゃあ、千万人に一人ぐらいは嫉妬深き若衆もいるだろう。
それにしても、このように男色の義理は格別なものだ。」
この章は『男色子鑑』巻四の三を利用しています。
奥田たちと同じ境遇の者の話ですが、そいういえば、奥田たちとチョメった小姓はどうなってしまったのでしょうかね?
次回は巻四から巻六のダイジェストです。
三目黄門(みめこうもん)
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