やあ、みんな久しぶり、輪っかに顔が付いた妖怪、輪香菜だよヾ(๑╹◡╹)ノ"
三つ目と一つ目に負けじと、僕も輪っかに顔が付いた妖怪の話を紹介するよヾ(๑╹◡╹)ノ"
新日本古典籍総合データベース
『諸国百物語』[延宝五(一六七七)年刊]
※この記事では国文学研究資料館所蔵資料の画像を適宜改変して使用しています。(CC BY-SA)
【原文】
九 京東洞院《きやうひがしのとうゐん》片輪車《かたわぐるま》の事
京東洞院通《きやうひがしのとうゐんとをり》に、昔、片輪車《かたわぐるま》と云ふ化け物《もの》有りけるが、夜《よ》な/\下《しも》より上《かミ》へ上《のぼ》ると云ふ。
日暮れになれバ、皆人恐れて、往来《わうらい》する事《こと》無し。
ある人の女房《によバう》、是《これ》を見たく思ひて、ある夜《よ》、格子《かうし》の内より覗《うかゞ》ひ居けれバ、案の如く、夜半《やハん》過ぎの頃、下《しも》より片輪車《かたわぐるま》の音しけるを見れバ、牛《うし》も無く人《ひと》も無きに車の輪《わ》一つ回り来《きた》るを見れバ、人《ひと》の股《もゝ》の引き裂きたるを下げて有り。
かの女房《によバう》、驚き恐れけれバ、かの車《くるま》、人《ひと》の様《やう》に物《もの》を云ふを聞けバ、
「如何《いか》にそれなる女房《によバう》、我を見んよりハ、内《うち》に入《いり》りて汝《なんじ》が子を見よ」
と云ふ。
女房、恐ろしく思ひて、内《うち》に入《い》り見れバ、三つになる子《こ》を肩より股《もゝ》まで引き裂きて、片股《かたもゝ》ハ何方《いづかた》へ取り行きけん、見えずなりける。
女房《によバう》、歎き悲しめども、返らず。
かの車《くるま》に掛けたりし股《もゝ》ハ此《こ》の子《こ》が股《もゝ》にて有りしと也。
女《をんな》の身《ミ》とて余りに物を見んとする故也。
【現代語訳】
巻一の九「京の東洞院通《ひがしのとういんどおり》の片輪車《かたわぐるま》の事」
京の東洞院通には、昔、片輪車《かたわぐるま》という化け物が出ました。
片輪車は、毎夜、東洞院通を南から北に上ったと言います。
日暮れになると、人々は皆恐れて、外出することはありませんでした。
ある人の女房が、この片輪車を見たく思い、ある夜、格子窓の中から様子をうかがうと、思った通り、夜中の0時から2時の頃、南から片輪車の音がしました。
見ると、車を引く牛も、操る人もおらず、車の輪っかが一つだけ、自分で回ってやって来ました。
この片輪車をよく見ると、引き裂かれた人の脚をぶら下げていました。
女房が驚いて怖がると、片輪車は、人のように言葉を話したので聞くと、
「おい、そこにいる女房よ、私を見るより、中に入って自分の子を見た方がいいぞ」
と言いました。
女房は恐ろしく思って、中に入って見ると、三歳になる子が、肩から脚まで引き裂かれていて、片脚はどこへ持ち去られたのか見当たりませんでした。
女房は嘆き悲しみましたが、もうどうしようもありません。
片輪車がぶら下げていた脚は、女房の子の脚だったというわけです、
女の身としては余計なものに興味を持って、見ようとするから、こういうことになったのです。
【解説】
挿絵では輪っかにおっさんの顔がついていて、足をくわえているけど、本文では、「輪っかに顔がある」という描写は無くて、「足がぶら下った、ただの輪っかがしゃべる」って書いてあるね。
文章を書く人と挿絵を描く人が違う場合には、よくあることだね。
でも挿絵としては、輪っかに顔があった方がインパクト大だから、これで正解だよねヾ(๑╹◡╹)ノ"
東洞院通は今でもあるから、片輪車が見たい方はどうぞヾ(๑╹◡╹)ノ"
というわけで、僕のデビュー曲、まだ聴いてない人はぜひ聴いてね~ヾ(๑╹◡╹)ノ"
youtu.be
いや、いや、それより、この話、ガチで怖い奴やん!ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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