『義公黄門仁徳録《ぎこうこうもんじんとくろく》』[江戸中後期成立か。呑産通人(呑産道人)作]巻二十七「下総国八幡宮藪を八幡知らずと申す事」
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
新日本古典籍総合データベース
【原文】
其の方達は、此の所に留まり、我が帰るを、待ち受け申すべし」
と仰せ出され、何《いづ》れも目と目を見合わセ、暫《しバら》く御返答申す者も無かりしが、松平主膳《まつだひらしゆぜん》、林田舎人《はやしだとねり》、口を揃へて申し上げる。
「成程、君の仰セの事、御尤《ごもつとも》にハ候へども、仮にも大切の御身を以て、古《いにしへ》より人の入る事、禁制をセし所へ入り給ひ、もしも凶事《きよじ》にても是有り候ひてハ、我/\御館へ對シ奉り、何とも申し訳、是無く候まゝ、先《ま》づ此の義ハ御止《おんとど》まり下さるべし。
また、愈《いよ》/\此の奥を定め給ふ思し召しニ候ハゞ、建久の仁田《につた》の忠常《ただつね》が冨士の人穴へ入りし例も是有り候へば、我に仰セ付けられ下さるべし。
たとへ忠常に劣り候とも、天命を首《かうべ》に戴《いたゞ》き、是なる薮の奥を定むる事、我/\が方寸《ほうすん》の内に御座候《ござさうらふ》」
と再三申し上げけれども、義公様、一円《いちゑん》に御承引無く、仰せ出ださるゝハ、
「其の方共《ほうども》の申す事、家来身にしてハ尤《もつと》も至極《しごく》の事也。
然ると雖《いへど》も、古《いにしへ》より人の入る事を許さぬ所へ、大事の家臣を遣わして、彼の仁田の忠常の如く、口止め申されしを、忠常も一命に掛けて言上《ごんじやう》に及び、終《つひ》に其の命を落とし、可惜《あつたら》武士を無益の事に落命さセしハ、是《これ》、将軍の誤りなり。
【現代語訳】
お前たちは、ここに留まって、ワシが帰るのを待っていなさい」
とおっしゃいました。
家臣たちはあっけにとられて、みんな目と目を見合わせて、しばらくご返答を申す者もいなかったのですが、松平主膳《まつだいらしゅぜん》と林田舎人《はやしだとねり》が、口をそろえて、
「なるほど、君《きみ》[黄門様]がおっしゃることは、ごもっともでございます。
しかしながら、昔から人の入る事を禁じていた所へ、大切なお体でお入りになられ、もしものことがあったとしたら、我々は、お屋敷の方へ申し上げる言葉もありません。
ひとまず、お入りになるのはお止め下さいませ。
どうしても、この奥を見定めになられたいとお思いでしたら、建久《けんきゅう》[正しくは建仁《けんにん》。鎌倉時代]に仁田忠常《にったただつね》が、将軍[源頼家]の命によって、富士の人穴《ひとあな》に入った例もありますので、どうぞ我々に仰せ付けください。
たとえ、忠常にはかなわないとしても、君のご威光を頭に戴き、この藪の奥を必ず見定めると、我々は胸の内で決めております」
と何度も申し上げました。
しかし、義公様[黄門様]は、全く納得なさらず、
「そなたたちが申す事は、家来の身としては、当然のことである、
だが、昔から人が入る事を許さない場所へ、大事な家臣を遣わすわけにはいかない。
あの仁田忠常は、入るのが禁止されている富士の人穴へ、将軍の仰せによって、命を掛けて入り、とうとうを命を落としてしまったが、このようなことがあってはならない。
惜しくも大事な武士を、無駄なことで落命させたのは、将軍の過失である。
【解説】
仁田忠常は将軍の源頼家の命令によって、富士の人穴に入って調査をし、それがきっかけとなって命を落としたと言われています。
黄門様は大事な家来を遣わして、忠常のように命を落とさせるようなことがあってはならないから、自分が入ると言ってきかないようですが、助さん格さん任せにする今の黄門様とは大違いですねヾ(๑╹◡╹)ノ"
三目黄門《みめこうもん》のお色気担当は僕に任せてね!ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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