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[2]累ヶ淵~『新著聞集』より~

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国書データベース

国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA) 

【原文】

 我、最期《さいご》の事ハ、法恩寺村《ほうをんじむら》の清右ヱ門も確かに見《ミ》たり」
 と様/゛\の恐《おそ》ろしき事共、云《い》ひし。
 人〻、恐《をそ》れ噪《さワ》ぎ、村の者共来て、問《と》ハバ、「しか/゛\」と答《こた》ふ。
 頓《ヤが》て僧《そう》彼是《かれこれ》を招《まね》き、祈祷《きたふ》セしかど、更《さら》に験《しるし》無かりし。
 然《しか》るに、三月十日、飯沼《いゝぬま》弘経寺《くぎヤうじ》の所化《しよけ》祐天《ゆうてん》、同侶《どふりよ》二三人 倡《いざな》ひ来りて見給ふに、件《くだん》の苦しミにて有りければ、同音《どうをん》に數遍《すべん》念仏《ねんぶつ》して苦しみを問えバ、
「怨霊《をんれう》、今迄ハ胸《むね》の上に居《い》て苦しかりしが、今ハ脇《ワき》に居《い》て我《ワ》が手《て》を放《はな》たず」
 と言ふ。

【現代語訳】

 殺された時法恩寺村《ほうおんじむら》下総国岡田郡報恩寺村]の清右衛門《せいえもん》[きよえもん?]も確かに見ていた」
 などと、様々な恐ろしいこと言いました。
 その場にいた人々は、恐ろしさのあまり震えました。
 村の者たちも来て、聞いても、先ほどと同じように恐ろしいこと言うのでした。
 すぐに僧たちを招いて祈祷《きとう》をしましたが、全く効果ありませんでした。
 そこで、三月十日飯沼《いいぬま》下総国岡田郡飯沼村]弘経寺《くぎょうじ》修行僧祐天《ゆうてん》が、仲間二三人連れてきてご覧になりました。
 は依然として苦しんでいたので、揃え何回念仏をして、「まだ苦しいか」と聞くと、は、
累の怨霊は、さっきまでは胸の上にいたので苦しかったのですが、にいて、私の手離しません」
 と言いました。

【解説】

 累の怨霊苦しめられるに、そこらの僧祈祷させても、全く効果無かったので、おそらく評判だった祐天という呼ばれました。

 祐天念仏唱えると、効果あったようで、菊の上にいた累の怨霊退きました。
 はてさて、このまま祐天累の怨霊退散させることができるのでしょうか?

 

 なんまいだ、なんまいだ

 どうしたの?

 あれ? 三つ目念仏が効かないな?

 怨霊じゃなくて、妖怪だからだよ!

 

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