国書データベース
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
【原文】
我、最期《さいご》の事ハ、法恩寺村《ほうをんじむら》の清右ヱ門も確かに見《ミ》たり」
と様/゛\の恐《おそ》ろしき事共、云《い》ひし。
人〻、恐《をそ》れ噪《さワ》ぎ、村の者共来て、問《と》ハバ、「しか/゛\」と答《こた》ふ。
頓《ヤが》て僧《そう》彼是《かれこれ》を招《まね》き、祈祷《きたふ》セしかど、更《さら》に験《しるし》無かりし。
然《しか》るに、三月十日、飯沼《いゝぬま》弘経寺《くぎヤうじ》の所化《しよけ》祐天《ゆうてん》、同侶《どふりよ》二三人 倡《いざな》ひ来りて見給ふに、件《くだん》の苦しミにて有りければ、同音《どうをん》に數遍《すべん》念仏《ねんぶつ》して苦しみを問えバ、
「怨霊《をんれう》、今迄ハ胸《むね》の上に居《い》て苦しかりしが、今ハ脇《ワき》に居《い》て我《ワ》が手《て》を放《はな》たず」
と言ふ。
【現代語訳】
我が殺された時、法恩寺村《ほうおんじむら》[下総国岡田郡報恩寺村]の清右衛門《せいえもん》[きよえもん?]も確かに見ていた」
などと、様々な恐ろしいことを言いました。
その場にいた人々は、恐ろしさのあまり震えました。
村の者たちも来て、菊に聞いても、先ほどと同じように恐ろしいことを言うのでした。
すぐに僧たちを招いて祈祷《きとう》をしましたが、全く効果はありませんでした。
そこで、三月十日、飯沼《いいぬま》[下総国岡田郡飯沼村]の弘経寺《くぎょうじ》の修行僧の祐天《ゆうてん》が、仲間を二三人連れてきてご覧になりました。
菊は依然として苦しんでいたので、皆で声を揃えて何回か念仏をして、「まだ苦しいか」と聞くと、菊は、
「累の怨霊は、さっきまでは胸の上にいたので苦しかったのですが、今は横にいて、私の手を離しません」
と言いました。
【解説】
累の怨霊に苦しめられる菊に、そこらの僧に祈祷させても、全く効果が無かったので、おそらく評判だった祐天という僧が呼ばれました。
祐天が念仏を唱えると、効果があったようで、菊の上にいた累の怨霊は横に退きました。
はてさて、このまま祐天は累の怨霊を退散させることができるのでしょうか?
なんまいだ、なんまいだ
どうしたの?
あれ? 三つ目に念仏が効かないな?
僕は怨霊じゃなくて、妖怪だからだよ!
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