［２］世界の借屋大将　～井原西鶴『日本永代蔵』巻二の一～ - うきよのおはなし～江戸文学が崩し字と共に楽しく読めるブログ～

日本永代蔵 6巻 [1] - 国立国会図書館デジタルコレクション
※この記事では国立国会図書館デジタルコレクションの画像を適宜改変して使用しています。

【原文】

世界《セかい》の借屋大将《かしやたいしやう》

「借屋請状《しやくやうけじやう》之事、室町《むろまち》菱屋長左衛門《ひしやちやうざえもん》殿借家に居申され候藤市《ふじいち》と申す人、慥《たし》かに千貫目《せんがんめ》御座候」
「廣《ひろ》き世界《セかい》に並び無き分限《ぶんげん》、我なり」
　と自慢申セし。
　子細ハ、二間口《にけんまぐち》の棚借《たながり》にて、千貫目持《せんがんめもち》、都《みやこ》の沙汰になりしに、烏丸通《からすまどほり》に三十八貫目の家質《かじち》を取りしが、利銀《りぎん》積もりて、自《おの》ずから流《なが》れ、始《はじ》めて家持《いえもち》となり、是を悔《くや》やミぬ。
　今迄ハ、借屋《しやくや》に居ての分限《ぶんげん》と言ハれしに、向後《きやうかう》家有るからハ、京の歴〻《れき／＼》の内蔵《うちぐら》の塵埃《ちりほこり》ぞかし。
　此の藤市《ふじいち》、利發《りはつ》にして、一代の内に斯《か》く手前冨貴《ふうき》になりぬ。
　㐧一、人間《にんげん》堅固《けんご》なるが身を過《す》ぐる元なり。

　此の男《をとこ》、家業《かげう》の外《ほか》に反故《ほんご》の帳《ちやう》を括《くゝ》り置きて、見世《みセ》を離れず、一日《いちじつ》筆を握《にぎ》り、両替《りやうがへ》の手代通《とを》れバ、銭《ゼに》小判の相場《さうば》を付《つ》け置《を》き、米問屋《こめとひや》の賣買《うりかい》を聞《きゝ》き合わせ、木薬屋《きぐすりや》、呉服屋《ごふくや》の若《わか》ひ者《もの》に長崎《ながさき》の様子《やうす》を尋《たづ》ね、

【現代語訳】

　世界の借家大将《しゃくやたいしょう》

　借家に住む人の身元保証書に、
「室町《むろまち》の菱屋長左衛門《ひしやちょうざえもん》殿の借家に住んでいる藤市《ふじいち》という人は、たしかに千貫目《せんがんめ》［銀一貫は千匁。一両は六十匁。一両を十万円で計算すると、千貫は約十七億円］の財産を持っている」
　と記されています。
　藤市という人は、
「私は広い世界の中で、ほかに例を見ない金持ちである」
　と自慢していました。
　その訳《わけ》は、二間間口《にけんまぐち》［表口が約3.6メートルの粗末な家］の借家暮らしにもかかわらず、千貫目の財産を持っている金持ちだと、都で評判になっていたからです。
　ところが、烏丸通《からすまどおり》のある家を抵当《ていとう》にとって、三十八貫目［約六千万円］を貸していたのですが、利息がたまって借り手が払えなくなり、自動的に質流れとなって、その家は藤市のものになりました。
　藤市は、初めて家持ちとなってしまい、これを悔やんだのでした。
　これまでは、借家暮らしでありながら、千貫目の財産を持つ金持ちであるのが珍しいと言われたのです。
　これからは家持ちになってしまったので、何代も続く京の大商人と比べたら、藤市は大した金持ちではなくなりました。

　京の大商人にとっては、千貫目など内蔵《うちぐら》の塵やホコリレベルのはした金なのです。
　さて、この藤市は、頭の回転が良かったので、一代でこれだけの財産を築きました。
　そもそも、人間は世を渡るには、藤市のように健康でなければなりません。
　この男は、家業の合間に、不要になった紙をまとめて帳面を作り、店を離れず、一日中筆を握って、メモを取っていました。
　両替屋の使用人が通ると、銭や小判の相場を聞いてメモり、米問屋の売り買いの状況を尋ねました。
　生薬屋《きぐすりや》や呉服屋の若い者には、長崎での薬や生糸などの輸入状況などを尋ねました。

【解説】

「世界の借屋大将」というタイトルは、藤市が、「借家暮らしの人間の中で、一番の金持ちだ」と自称したことから取られています。

　藤市は、うっかり家が手に入ってしまい、家持ちの人間の中では、大した金持ちではなくなったのを悔やむわけですが、大商人と比べて大したことがなくなっただけで、それでも藤市が金持ちであることには変わりありません。

　千貫目以上の財産を持っているのが、当時の金持ちの基準だったようです。

　このお話の主人公である、藤市こと藤屋市兵衛は、実在の人物で、長崎商いで財を成した、倹約家で有名な人物です。

　さすがに名前をそのまま出すわけにはいかなかったので、藤市という略称を用いたのでしょう。

　ここまで読む限り、ちょっと変わってるけど、藤市はしっかりした人物のように思えますが？？？