それでは、『万葉集』巻五「梅花歌三十二首并序」を読んでいきましょう。
とは言っても、今回取り上げるのは、歌の部分ではなく、序の部分ですが。
一応、このブログは江戸時代の文学作品を紹介するブログなので、江戸時代の歌人・国学者の橘千蔭(たちばなちかげ)が書いた『万葉集略解(まんようしゅうりゃくげ)』という『万葉集』の注釈書を読んで生きたいと思います。
ほかにも江戸時代の『万葉集』の注釈書があるのに、なぜこの本を選んだか?
適当に検索して出てきたからです(笑)
この序は漢文で書かれています。
訓点などはこの『万葉集略解』に書かれている表記に従って、書き下し文にしました。
また、注釈もそのまま訳していますので、現在の解釈とは異なる場合があることを、あらかじめご了承くださいませ。
あ、しばらく更新がなかったのは、この部分を読むのに予想外の時間がかかったからです!
どっかの本をそのまま丸写しにすれば、あっという間に書けたのでしょうが、私の性格上、そんな手抜きができるわけもなく、ちゃんと自分で一つ一つ確認しながら読んで行ったので。。。
万葉集略解 20巻. [7] - 国立国会図書館デジタルコレクション
※この記事では、国立国会図書館デジタルコレクションの画像を、適宜改変して使用しています。
【翻刻】
梅花歌三十二首并序 目録に太宰帥大伴卿宅宴梅花云々と有
天平二年正月十三日。萃(アツマル)(二)于帥老之宅(一)。申(ル)(二)宴會(一)也。于(レ)時初春
令月。氣淑風和。梅披(二)鏡前之粉(ヲ)(一)蘭薫(二)珮後之香(ヲ)(一)加以(シカノミナラス)曙嶺移
(レ)雲(ヲ)、松掛(レ)蘿而傾(レ)蓋。夕岫結(レ)霧。鳥對(レ)縠而迷(レ)林。庭(ニ)舞(二)新蝶(一)。空(ニ)歸(シム)(二)
故雁(ヲ)。 帥老ハ大伴卿を云、此序ハ憶良の作れるならんと契沖いへり、さも有べし、
鏡前之粉ハ宋武帝の女壽陽公主の額に梅花の落たりしが、拂へども去ざり
しより、梅花粧といふ事おこれりといへり、是によりていへる也、珮後之香ハ
屈原が事によりていへり、傾蓋ハ松を偃蓋などいふ事六朝以降の詩に多し、
對縠は宋玉神女賦に動(二)霧縠(一)以徐歩と有、縠ハこめおりのうすもの也、さて
霧を縠にたとへ、縠を霧にもたとへていへり。契沖ハ對ハ封の誤かといへり。
※帥ヲ師ニ誤
※蘿而ヲ羅勿ニ誤
於(レ)是蓋(レ)天坐(レ)地。促(テ)(レ)膝(ヲ)飛(シ)(レ)觴(ヲ)。忘(ル)(二)言(ヲ)一室之裏(ニ)(一)。開(ク)(二)衿煙霞之外(ニ)(一)。淡
然(トシテ)自放(マゝニ)。快然(トシテ)自足(ル)。若(シ)非(ハ)(二)翰苑(ニ)(一)。何(ヲ)以(テ)攄(ン)(レ)情(ヲ)。請(フ)紀(二)落梅之篇(ヲ)(一)。古今夫
何(ソ)異(ラン)矣。宜(下)賦(シテ)(二)園梅(ヲ)(一)聊(カ)成(ス)(中)短詠(ヲ)(上)。 劉伶酒徳頌に幕(レ)天席(レ)地といへるをと
りて蓋(レ)天坐(レ)地といへり、促(レ)膝ハ梁陸陲(カ)詩に、促(レ)膝豈(ニ)異人(ナランヤ)、註に促ハ近(レ)膝坐
也といへり、飛觴ハ西京賦に羽觴行(メクリテ)而無(レ)算、註に羽觴作(二)生爵形(一)と有、忘言
ハ莊子に言者所(―)(二)以在(一)(レ)意(ニ)、得(レ)意而忘(レ)言と有より出て、こゝは打とけて物語
などする事をいふ、さて蘭亭叙に語(―)(二)言一室之内(ニ)(一) と有にならへり、此
序ハ始の書ざまよりしてすべて蘭亭叙をまなびて書り、開衿ハ
胸襟を開などもいひて、心をひらく事也
※忘ヲ忌ニ誤
【書き下し文&補足表記】
梅花の歌、三十二首、序を并(あは)す
目録に「太宰帥(だざいそち)大伴卿(おおともきょう)の宅(いえ)の宴(うたげ)の梅花」云々(うんぬん)と有り。
天平二年正月十三日、帥(そち[そつ])の老(おきな)の宅(いえ)に萃(あつ)まる。宴會を申(の)ぶる。時に初春は令(よ)き月。氣は淑(よ)く風は和(のど[なごや])か。梅は鏡の前の粉を披(ひら)く。蘭は珮(おびもの[はい])の後ろの香を薫る。加以(しかのみならず)、曙の嶺は雲を移し、松は蘿(つた)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾く。夕(ゆうべ)の岫(くき)に霧が結ぶ。鳥は縠(こめ)に對(むか)ひて林に迷ふ。庭に新しき蝶が舞ふ。空に故(ふる)き雁(かり[がん])を歸らしむ。
「帥老」ハ大伴卿を云ふ。「此の序ハ、憶良の作れるならん」と契沖(けいちゆう)言へり。さも有るべし。
「鏡前之粉」ハ、宋武帝の女・壽陽公主(じゆやうこうしゆ)の額(ひたい)に梅花の落ちたりしが、拂へども去らざりしより、梅花粧と言ふ事起これりと言へり、是に拠(よ)りて言へる也。
「珮後之香」ハ、屈原(くつげん)が事に拠りて言へり。
「傾蓋」ハ松を「偃蓋(えんがい)」など言ふ事、六朝以降の詩に多し。
「對縠」は宋玉(そうぎよく)『神女賦(しんによふ)』に「霧縠(むこく)を動くを以(もつ)て徐(ゆる)やかに歩く」と有り。
「縠」ハ「縠織(こめおり)」の薄物(うすもの)也。
さて、「霧」を「縠」に例へ、「縠」を「霧」にも例へて言へり。
契沖は、「「對」は「封」の誤りか」と言へり。
※「帥」を「師」に誤(あやま)る。 ※「蘿而」を「羅勿」に誤る。
是(ここ)に、天を蓋(きぬがさ)にし、地を坐(しきもの)にす。膝を促(ちかづ)けて、觴(さかずき)を飛ばし。言(ことば)を一室の裏(うち)に忘る。衿(えり)を煙霞(えんか)の外に開く。淡然(たんぜん)として自(みずか)ら放(ほし)いままに。快然(かいぜん)として自ら足る。もし、翰苑(かんえん)に非(あら)ずは。
何を以(もつ)て情けを攄(の)べん。請ふ、落梅の編を紀(しる)すを。古(むかし)と今、夫(そ)れ、何ぞ異ならん。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して、聊(いささ)か短詠を成(なす)すべし。
劉伶(りうれい)『酒徳頌(しゆとくしよう)』に、「天を幕とし、地を席とす」と言へるを取りて、「天を蓋にし、地を座にす」と言へり。
「膝を促け」ハ、梁(りやう)陸陲(りくすい)が詩に、「膝を促け、豈(あ)に異人(ことひと)ならんや」、註に「促は膝を近づけて坐る也」と言へり。
「飛觴」ハ、『西京賦(せいけいふ)』に「羽觴(うしやう)行(めぐ)りて、算(はかりごと[ちえ])を無くす」、註に「羽觴は生(いきもの)を爵(さかずき)の形に作る」と有り。
「忘言」ハ、『莊子』に「言は意に在る所以(ゆゑん)、意を得て言を忘る」と有るより出て、ここは打ち解けて物語りなどする事を言ふ。
さて、『蘭亭叙(らんていじよ)』に、「一室の内に語言(かたりごと)をす」と有るに倣へり。此の序ハ始めの書き様(ざま)よりして、全て『蘭亭叙』を学びて書けり。
「開衿」ハ、「胸襟(きょうきん)を開く」なども言ひて、心を開く事也。
※「忘」を「忌」に誤る。
【今回も真面目に現代語訳】
「三十二首の梅花の歌に序を合わせる」
目次に、「大宰府長官・大伴旅人(おおとものたびと)卿(きょう)の家での宴会で詠む梅花の歌」などとあります。
天平二年正月十三日、大宰府長官の老人[大伴旅人]の家に集まり、我々は宴会をしています。
この新年初春というのは、素晴らしい月です。
気候は良く、風は穏やかです。
梅は鏡台の前の白粉(おしろい)のような白い花を咲かせます。
蘭は匂いをつけた装飾品の裏から香ってくるような、良い香りを漂わせます。
それだけでなく、夜明けの山頂に雲がかかり、ツタがからまった松と合わさって、絹の長い柄の傘を傾けたような姿になります。
夕方には山の洞穴から霧が発生して、鳥は薄い絹織物のような霧に向かって飛ぶので、林の中で迷ってしまいます。
庭には今年羽化した蝶が飛び、空には去年やってきた渡り鳥の雁が帰って行く姿が見えます。
「帥老」は大伴旅人卿のことを言います。
「この序は、山上憶良(やまのうえのおくら)が作ったのでしょう」と契沖(けいちゅう)が言っていますが、その通りだと思います。
宋の武帝の娘・寿陽公主(じゅようこうしゅ)の額(ひたい)に梅の花が落ちたのですが、払っても取れなかったので、これから額に梅の花を描く梅花粧という事が流行ったそうです。「鏡前之粉」は、このエピソードを踏まえて言っています。
「珮後之香」は、屈原(くつげん)の詩を踏まえて言っています。
「傾蓋」は、松を「偃蓋(えんがい)」などと言う事が、中国の六朝(りくちょう)時代以降の詩に多く見られるので、そのあたりを踏まえて言っています。
「対縠」は、宋玉(そうぎょく)の『神女賦(しんにょふ)』に「霧の中を動く時や、縠を着て動く時は、ゆっくりと歩きます」とあるので、これを踏まえて言っています。
「縠」は「縠織(こめおり)」という薄い絹織物のことです。
つまり、「霧」を「縠」に例えて、「縠」を「霧」に例えて言っています。
契沖は、「「対」は「封」の間違いか?」と言っています。
※「帥」を「師」に間違えている場合があります。
※「蘿而」を「羅勿」に間違えている場合があります。
ここでは、天を絹の傘、地を敷物に見立て、膝を近づけて觴[杯][盃](さかずき)を交わし、この部屋の中で一同は言葉を忘れるほど楽しみます。
一同は、襟(えり)[心]を自然の素晴らしい景色に向かって開き、堅苦しいことは無しにして自我を開放し、心地よく満足しています。
もし、文章を使わなかったら、何でこの今の心情を表せばよいのでしょうか[文章以外に、この今の心情を表す方法はありません]。
漢詩に多く見られる落梅のような事を書いてはみませんか。
昔も今も、詩や歌を書きたい気持ちは、何も変わらないでしょう。
さあ、庭の梅を題材にして、少しばかり短歌を詠もうではないですか。
劉伶(りゅうれい)の『酒徳頌(しゅとくしょう)』に、「天を幕とし、地を席とす」と書いてあるのを踏まえて、「天を蓋にし、地を座にす」と言っています。
「膝を促け」は、梁(りょう)の陸陲(りくすい)の詩に、「膝を促(ちかづ)けたら、もう他人行儀はやめましょう」とあるのを踏まえて言っています。※「促」は、膝を近づけて座る事。
「飛觴」は、『西京賦(せいけいふ)』に、「羽觴(うしょう)を酌(く)み交わせば、人を陥(おとしい)れる事など無くなります」とあるのを踏まえて言っています。※「羽觴」は、羽のある生き物の形に作った盃の事。
「忘言」は、『荘子』に「言葉は心を伝えるためにあるので、心が伝われば言葉など忘れてしまってもかまいません」とあるのを踏まえて言っています。
ここでは、「打ち解けて物語りなどする事」を言っています。
さて、「一室之裏」は、『蘭亭叙(らんていじょ)』に、「部屋の中で語り事をする」ととあるのを踏まえて言っています。
この序は、始めの書き方から全て、『蘭亭叙』を学んで書かれています。
「開衿」は、「胸襟(きょうきん)を開く」などとも言って、心を開く事です。
※「忘」を「忌」に間違えている場合があります。
【解説】
この序のあとに、梅花の歌が書かれているわけです。
新年号の一部となった「令月」という言葉は単語として存在しますが、ここではわかりやすく「令(よ)き月」と書き下しました。
『万葉集略解』では触れられていませんが、新年号の出典となった部分は、張衡(ちょうこう)の「帰田賦(きでんふ)」[『文選(もんぜん)』所収]の、「於是仲春令月、時和気清」を踏まえているようです。
「蘿」は一応、「つた」と読んでおきましたが、「つる」「かげ」「こけ」などとも読め、「ヒカゲノカズラ」などの植物をさしているようです。
尚、現在の解釈では、「蘿」ではなく、「羅(うすぎぬ)」としている説が多いようです。
また、「對縠」の「對」は「封」、「請紀落梅之篇」の「請」は「詩」としている説が多いようです。
『万葉集略解』の注釈からも分かるように、この序文は漢籍を踏まえて書かれているようです。
つまり、「令和」は、初めて国書から取った元号なのですが、元号を漢籍から取っていたこれまでの伝統も踏襲しているというわけです。
『万葉集』の本文の意味を踏まえると、「令和」は「素晴らしく穏やか」ということになりましょうか。
次回から『玉水物語』の下巻を読み始めようと思います。
三つ目コーナー
ねえ、この鎌倉・室町時代に書かれた写本は、「今」だか何だかわかんない字の上に、「月」まで抜けてるよ!
紀州本万葉集. 巻第5 - 国立国会図書館デジタルコレクション
お前は間が抜けてるけどな。
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