「定番の昔話が江戸時代にはどう書かれていたか?」シリーズヾ(๑╹◡╹)ノ"
今回は、「一寸法師」です。
ここで取り上げるのは、江戸時代にセットで刊行された、いわゆる「渋川版御伽草子」の一編で、おそらく、今普及している「一寸法師」の元になった作品だと思われます。
ちなみに、以前取り上げた「浦島太郎」も渋川版のものです。
kihiminhamame.hatenablog.com
渋川版の「一寸法師」は御伽草子では、あまりにもベタな作品で、すでにやりつくされている感がありますが、まあ、リクエストも多かったことですし、こういうのも、たまにはいいかなと(笑)
なるべく北見花芽らしい現代語訳と解説になるよう頑張ります(笑)
御伽草子. 第19冊 (一寸法師) - 国立国会図書館デジタルコレクション
※この記事では、国会図書館デジタルコレクションの画像を適宜加工して使用しています。
【原文】
中頃の事なるに、津の国《くに》難波《なには》の里に、祖父《おうぢ》と姥《うば》と侍《はんべ》り。
姥四十に及ぶまで、子《こ》の無き事を悲しミ、住吉に参り、無き子を祈り申すに、大明神《だいミやうじん》哀れと思し召して、四十一と申すに、直《たゞ》ならずなりぬれば、祖父喜び限り無し。
やがて十月《とつき》と申すに、美《いつく》しき男《お》の子を設《まう》けけり。
【現代語訳】
少し昔のことですが、摂津国難波《せっつのくになにわ》の里[大阪府]に、おじいさんとおばあさんがいました。
おばあさんは、四十歳になるまで子どもがいないことを悲しみ、住吉大社に参詣《さんけい》し、「子どもがいないので、子どもを授けてください」と祈りました。
住吉大明神はかわいそうに思い、その願いを叶え、おばあさんは四十一歳の時に懐妊したので、おじいさんはとても喜びました。
やがて十か月が経《た》ち、端正《たんせい》で可愛らしい男の子が生まれました。
【解説】
今回は、物語の冒頭、一寸法師が誕生するまでです。
一寸法師は大阪出身なんですね、コテコテの大阪弁を話したんですかね?(笑)
それにしても、四十歳で爺さん婆さん扱いとは。。。
うわあん、僕も四十歳になったら、爺さんって呼ばれるのかなあヾ(๑╹◡╹)ノ"
いや、お前は三百歳だから、とっくに爺さん、というか、もう爺さんってレベルじゃないだろうが。。。
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