『伽婢子《おとぎぼうこ》』[浅井了意作、寛文六(一六六六)年刊]巻三の三「牡丹灯籠」
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
新日本古典籍総合データベース
【原文】
女、取り敢《あ》へず、
「夕《ゆふ》な/\ 待つとし言ハゞ 来ざらめや 託《かこ》ち顔なる 兼ね言はなぞ」
と返しすれバ、荻原、愈《いよ》/\嬉しくて、互ひに解くる下紐《したひも》の、結ぶ契りや新枕、交わす心も隔て無き、睦言《むつごと》ハまだ尽き無くに、早や明け方にぞなりにける。
荻原、
「其の住み給ふ所ハ何処《いづく》ぞ。
木の丸殿にハ有らねど、名乗らせ給へ」
と言ふ。
女、聞きて。
「自《ミづか》らハ、藤氏《ふぢうぢ》の末、二階堂政行《にかいだうまさゆき》の後也。
其の頃ハ、時めきし世も有りて、家栄え侍りしに、時世《じせい》移りて、有るか無きかの風情にて、微《かす》かに住み侍り。
父ハ政宣《まさのぶ》、京都に打ち死にし、兄㐧皆絶へて、家衰へ、我が身一人、女《め》の童《わらハ》と万寿寺の辺《ほとり》に住み侍り。
【現代語訳】
女はすぐに、
「あなたが、『毎日のように、夕方になると、あなたが来るのを待っている』と言ってくだされば、私は必ず来ます。
どうして、そんな悲しい顔をして、『もう会えないかもしれない』なんて不吉なことをおっしゃるのですか」
と返しました。
荻原はますます嬉しくなり、お互いに下着の紐を解くのですが、縁は結ばれて、初めてのチョメチョメをしました。
心も隔てなく通い合い、ピロ―トークもまだまだ尽きないうちに、早くも明け方になってしまいました。
荻原が、
「あなたのお住まいはどちらですか。
木の丸殿[斉明天皇の行宮《あんぐう》(旅先での仮宮)。現在の福岡県朝倉市にあった]の歌ではありませんが、お名乗りください[「朝倉や 木の丸殿に 我が居れば 名乗りをしつつ 行くは誰が子ぞ(『新古今和歌集』天智天皇)」を踏まえるか(諸説あり)]」
と言うと、
女は聞いて、
「私は藤原氏の末裔《まつえい》、二階堂政行《にかいだうまさゆき》の子孫です。
政行の頃は一族も全盛を誇り、家も栄えていたのですが、時代が変わって、父の代の頃にはもう、どうにかこうにか、細々と暮らすのがやっとでした。
そして、父の政宣《まさのぶ》は京都で討ち死にし、兄弟も皆亡くなってしまい、家もすっかり衰退し、一人だけ残った私は、女の童[使用人]と万寿寺の辺りに住んでいます。
【解説】
はい、予想通り、荻原は美女とチョメチョメしてしまいましたヾ(๑╹◡╹)ノ"
女は、元々は名のある一族の出身のようですが、住んでいる場所がお寺の近くと言うのがちょっと気になりますね。
チョメチョメと言えば山城新伍だよねヾ(๑╹◡╹)ノ"
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