「定番の昔話が江戸時代にはどう書かれていたか?」シリーズヾ(๑╹◡╹)ノ"
今回は「雪女」です。
でも、現在普及している雪女の話は明治時代の小泉八雲の「雪女」が元になっています。
小泉八雲 田部隆次訳 雪女 YUKI-ONNA
江戸時代はどうだったかというと、雪女と言うキャラクター自体はよく見られるのですが、
『古今百物語評判』
※富山大学附属図書館ヘルン文庫所蔵 (CC BY)
新日本古典籍総合データベース
『百怪図巻』
※Wikipediaより
『画図百鬼夜行』
百鬼夜行 3巻拾遺3巻. [1] - 国立国会図書館デジタルコレクション
『百種怪談妖物双六』
国立国会図書館デジタルコレクション - 百種怪談妖物双六
『お化けカルタ』
※Wikipediaより
お話としてはほとんど残されていません。
そのほとんど残されていない雪女のお話から、今回は『宗祇諸国物語《そうぎしょこくものがたり》』に収録されている雪女の話を紹介します。
『宗祇諸国物語』(西村市郎右衛門作か、貞享二[一六八五]刊)巻五-五
※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA)
新日本古典籍総合データベース
【原文】
「化女《けぢよ》苦《すご》し[「苦《くる》し」「過ごし」「凄《すご》し」?]朧夜《おぼろよ》の雪《ゆき》」
聞くならく、越路《こしぢ》ハ年毎《としごと》の雪深《ゆきふか》く、去年《こぞ》の名残《なごり》の村消《むらぎ》えより、今年の雪降《ゆきふ》り続くとかや。
其の国の人ハ、馴《な》れ越し身の習ハしに、物憂くも思ハざらん。
我ハ南紀《なんき》の暘国《やうこく》に育ち、花洛《くわらく》の中央《ちうわう》に在《あ》りし程だに、故郷《こきやう》に増《ま》さり冷たかつし[「冷たかりし」?]。
越後《ゑちご》に睦《むつ》まじく言ふ人の「来《こ》よ」と物する。
「老苦《らうく》さへあるに」と暫《しバし》し罷《まか》らず侍るを、「然《さ》りとて風厭ふ計《ばか》りの設《しつら》ひハ心安かん物[「安からん物」?]を、無下に臆病の人 哉」と物せられ、行きて二年《ふたとせ》を送りにけり。
初《はじ》めの年の雪、分きて夥《おびたゞ》しく、所の人も「近き年に稀《まれ》なり」と言ひき。
長月《ながつき》の末《すへ》、蝶《てう》の羽打つ計り大平に降《ふ》り初めてより、神無月《かんなづき》の㝡中《もなか》ハ、野路《のぢ》の草葉一つも見ゆる無く、山邊《やまべ》の木立《こだち》も七尺《しつせき》計りより下は降り埋《うず》ミぬ。
「今さへ斯《か》ゝれば、極寒《ごくかん》の末《すえ》、如何計《いかばか》り」と思ひやれど、早や、往来《ゆきゝ》の道絶えて、「袖打ち払ふ陰《かげ》も無し」[藤原定家の和歌(『新古今和歌集』)]と言ひし人の又、其の陰さへ無けれバ、京にも得帰らざりけり。
霜月の始《はじ》めハ、民家《みんか》悉《ことごと》く埋《う》もれて、屋の棟《むね》より出入りする程也。
然《さ》れど、祇《ぎ》[宗祇《そうぎ》]ハ人の情《なさ》けに助《たす》けられ、身に衣服《いふく》も取り重ね、口に羹《あつもの》を飽《あ》く。
此の年《とし》、漸《やう/\》暮れて、睦月《むつき》も寒《さむ》く、二月《きさらぎ》も冴へ返れど、誠《まこと》ハ冬の様《やう》にも無し。
南面ハ稍《やゝ》消えにけり。
【現代語訳】
「かすんで見える月の夜の、雪の中に現れた化け物女も、苦しい思いをしているのだろうか」
聞いたところによると、越路《こしじ》[北陸道]は毎年降る雪が深く積もり、前の年の雪がまだ所々残っている内に、今年の雪が降り始めるとか。
そういう国に住む人は、馴れっこでいつもの事になっているので、雪を辛いとも思わないのでしょう。
私は南紀[紀伊国南部]の暖かい気候の国に育ったので、京都の中央に住んでいた時でさえ、故郷に比べて寒く思ったものです。
越後[新潟県]の仲が良い人が、「越後に来なされ」と言ってきました。
私は「ただでさえ年老いてキツいのに、あんな雪深い所など」と、誘われてもしばらく行かないでいました。
でも、「そうは言っても、風を防ぐぐらいの設備はあって、雪深い気候でも安心できるのに、来るのをためらうとは、やたらと臆病な人だなあ」と言ってくるので、私は越後に行って二年を過ごしたのでした。
最初の年の雪は、特に多く降り、地元の人も「最近では珍しい雪の量だ」と言うのでした。
九月[旧暦。現在の十月ごろ]の末、蝶が羽を広げたくらい大きくて平たい雪が降り始めてから、十月[現在の十一月ごろ]中には野道の草葉が一つも見えることなく雪で覆《おお》われ、山のふもとの辺りの木立も七尺[約2メートル]から下は雪で埋もれました。
「今でさえこんな状態なのに、冬の真っ盛りはどうなってしまうのだろう」と先が思いやられました。
もはや、往来の道も雪で通れなくなり、「袖についた雪を払う物陰もありません」と言うような人影すら無いので、京都に帰る事もできません。
十一月[現在の十二月ごろ]の始めには、民家はことごとく雪で埋もれ、屋根の一番高い所から出入りしなければならないほどです。
しかし、私は、人の情けに助けられ、何枚も衣服を重ねて着ることができ、熱い吸物も十分に食べることができました。
この年がやっと暮れて、翌年の一月[現在の二月ごろ]も寒く、二月[現在の三月ごろ]も寒さがぶり返しましたが、正直、冬のピークの寒さほどではありません。
南側の雪は少しずつ溶け始めました。
【解説】
宗祇が騙されて(?)越後に滞在した時のお話です。
雪女の登場は次回です。
検索すると、『宗祇諸国物語』の雪女の話が小泉八雲の「雪女」の元ネタだという情報が出てきたりしますが、それはガセネタで、内容は全く違います。
また、『宗祇諸国物語』を宗祇《そうぎ》[室町時代の連歌師]作の紀行文としている情報も出てきたりしますが、これまたガセネタで、『宗祇諸国物語』はあくまでも宗祇を主人公にした、江戸時代に作られた西村本[書籍商の西村市郎右衛門が関わった作品群]の浮世草子[江戸時代の創作小説の一種]です。
ネットの情報は間違っていることが多いので、鵜呑みにしないようにしましょうね。
って、実はこのブログの内容がデタラメだったりしてヾ(๑╹◡╹)ノ"
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