『亀山人家妖』のまとめリンクだよ!
喜三二について
この作品の作者であり主人公でもある、喜三二(きさんじ)こと手柄岡持(てがらのおかもち)こと亀山人(きさんじん)こと朋誠堂(ほうせいどう)は、本名平沢常富(ひらさわつねとみ)という出羽国久保田藩の江戸留守居役[江戸常勤の武士]でした。
「宝暦の色男」と自称して、吉原通いをしていたそうなので、『亀山人家妖』の内容もまんざらでもないのでしょうね(笑)
『戯作外題鑑(げさくげだいかがみ)』[江戸後期成立か]という書物には
家の化物に、喜三二が肖像、重政が筆、真に逼(せま)るといふべし。
[『亀山人家妖(きさんじんいえのばけもの)』で北尾重政が喜三二の姿を描いていますが、本人に良く似ていると思われます。]
と書かれています。
このお顔がね(笑)
喜三二は『亀山人家妖』[天明七(1787)年刊、黄表紙]の翌年に、寛政の改革をディスった『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし)』[天明八(1788)年刊、黄表紙]という作品を書いて評判を得ますが、もちろん、ただでは済まなかったようで、喜三二はこの作品を最後に黄表紙作家としては筆を絶たねばならなくなるのでした。
断筆後の翌年以降にも「喜三二」名義の黄表紙が刊行されていますが、これは、弟子の浅黄裏成(あさぎのうらなり)[芍薬亭長根(しゃくやくていながね)] が、二世喜三二[三橋喜三二]を襲名して書かれたものです。
いかに「喜三二」という名前がネームバリューを持っていたかがわかりますね。
というか、この時代の作家、別名多すぎてややこしいっ!
ちなみに、吉原細見の序は山東京伝が引き継ぎます。
同じ時代に活躍したのに、山東京伝は今でも評価されてるのに、喜三二はすっかり忘れ去られているのは不思議ですよね。
『文武二道万石通』の翌年には、喜三二と仲が良かった恋川春町が、続編の意味合いを持つ『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』[寛政元(1789)年刊、黄表紙]を書きます。
もちろん、これもただで済むはずもなく、寛政の改革の主導者松平定信から呼び出しをくらいますが、病気を理由に出頭を拒否し、春町は数ヵ月後に亡くなっています[自殺説あり]。
喜三二はこの後は、狂歌に専念して、七十八歳まで生きたようです。
三つ目コーナー
三つ目の変顔まとめ(満面の笑み)
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